ただし、「こうあらねば」と一心に思い詰めると、誰でも疲れてしまいます。そうすると自分にも人にも厳しくなってしまい、さらに疲弊するものです。
だから、できるところからでいいのです。ときには自分をゆるませながら、ユーモアや遊び心をもって、ちょうどよいバランスで進んでいくことの大切さを感じています。
自分に常に問い続けること
ここ数年、愛読している作家若松英輔さんの『生きる哲学』(文藝春秋)の中に、ハッとさせられる言葉がありました。
「人間には誰しもが担わなくてはならない人生の問いがあり、それは他人に背負ってもらうことはできない」という一文です。
簡単に結果が得られるものではないからこそ、大切な指針として、自分自身に問い続けることが求められるのでしょう。そして、品格のある人とは、常に自分自身の生き方を自分に問い続けている人なのでしょう。
その核となるのが、「愛の人」であることの意味を問い続けることだと、今理解しています。
聖書では、「あなたの隣人を愛しなさい」と、くり返し説かれています。ただし、そこには見落としてはならない視点があります。本来この言葉は、「隣人を自分と同じように愛しなさい」と書かれているのです。
つまり、自分を放り出してまで人に尽くすのではなく、自分自身を愛で満たすことが重要だということです。
20代の頃は、自分を愛するといわれても、今ひとつピンと来ませんでした。自分を愛する余裕などなかったというのが正直なところです。
しかし、カウンセリングを学んだり、さまざまな出会いを重ねたりするなかで、少しずつ変化が起きました。自分にいつもバリアを張り、「こう見られたい」とこだわるのは、自分をないがしろにしているのではないかと気づいたのです。
自分の心の声に耳を傾け、ときにはいたわり、その時々の気持ちを受け止める。そうやって、自分自身をいつくしむことが、ひいては、他者への優しいまなざしにつながっていきます。
これまでの道のりは、少しずつ自分を取り戻し、他者へのまなざしを育んでいくプロセスだったように思います。
自分や他者を愛するために、自分自身をないがしろにしてはいけない。そして、そのためには毎日の暮らしが基本となる。
少なくとも、今このことは腑に落ちています。
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