どれも、一朝一夕で身につけられるものではありません。ですが、すぐにはかなわないまでも、品格ある生き方をひとつの目標として生きていけたらと考えています。
私がその指針としているのが、「心を清くし 愛の人であれ」という言葉です。これはノートルダム清心学園の校訓で、中高生時代からくり返し触れてきました。
考えてみると、「心を清く」することも、「愛の人」であることも、実際にはなかなかむずかしいことです。またその意味も奥深く、学生の頃からずっと自分に問い続けています。
学校では、「心を清くし」とは、物事の本質を見極めること。無垢の白さを求めるのではなく、深みのある色を求めることだと教えられました。
まっさらでなにも知らない状態だけが「清い」のではなく、物事を深く見て極めていけば、そこに清らかな本質が見えてくるのだと説かれました。
一見ダークグレーのように見える混沌とした状況であっても、美しく澄み切った深いブルーに変えられる。そう信じて、自分なりの志を持って進んでいく。
この言葉は、そのような生き方を示しているのではと考えます。これも、一生をかけて取り組んでいくことです。
あなた自身は、どんな生き方をしたいでしょうか。
こうありたいという生き方を、いつも自分に問い続ける。そのような問いかけが、品格のある生き方へとつながる道なのかもしれません。
「隣人を愛する」の本当の意味
では、「心を清くし 愛の人であれ」の「愛の人であれ」とは、どういうことでしょう。
愛には、自己愛や家族愛、異性への愛や人間愛、動物・植物への愛など、さまざまなものがあります。カトリックの教えでは、愛とはアガペ(無償の愛)であるとされています。しかし、いざ実践となると、これもまたむずかしい場面ばかりです。
思いやりや優しさをもって、本当の愛とはなにかを考えながら行動する。
「愛の人」でいられるように祈る。そして、「愛の人とは?」と自分自身に問いながら行動し続ける。
それが、日々できることではないかと考えています。
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