こんな出世する見込みのない男のところに、大事な娘を嫁がせたくはない。
時の左大臣、源雅信はそう考えたらしい。長女の倫子に求婚してきた男に拒絶反応を示したという。まさか、その男が貴族の頂点に立つとは、夢にも思わなかったようだ。
結婚反対されるほど出世見込みなかった
藤原道長が倫子に熱を上げて、求婚したのは22歳のときのことだ。永延元(987)年、父の兼家が摂政となった翌年にアプローチを行っている。
道長が源雅信に拒絶されたという逸話は『栄花物語』に記されており、雅信は「あな物狂ほし」(バカバカしい)と一蹴。
雅信からすれば、将来の后(きさき)にと大切に育てた娘を「口わき黄ばみたるぬし」(青二才)にやることなどできない、という思いがあったと描写されている。


















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