NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。第4回はまだ出世見込みのなかった藤原道長の結婚を巡るエピソードを紹介・解説する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。
こんな出世する見込みのない男のところに、大事な娘を嫁がせたくはない。
時の左大臣、源雅信はそう考えたらしい。長女の倫子に求婚してきた男に拒絶反応を示したという。まさか、その男が貴族の頂点に立つとは、夢にも思わなかったようだ。
結婚反対されるほど出世見込みなかった
藤原道長が倫子に熱を上げて、求婚したのは22歳のときのことだ。永延元(987)年、父の兼家が摂政となった翌年にアプローチを行っている。
道長が源雅信に拒絶されたという逸話は『栄花物語』に記されており、雅信は「あな物狂ほし」(バカバカしい)と一蹴。
雅信からすれば、将来の后(きさき)にと大切に育てた娘を「口わき黄ばみたるぬし」(青二才)にやることなどできない、という思いがあったと描写されている。
トピックボードAD
有料会員限定記事
ライフの人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら