子供の出世にも差「道長の2人の妻」の大きな格差【再配信】 倫子と明子、それぞれが道長と結ばれた経緯
【12月15日で最終回を迎えるNHKの大河ドラマ「光る君へ」。2024年1月より歴史学者の濱田浩一郎さんが平安時代にスポットライトを当てて書かれている記事の中で、とくに人気の高かった記事をお届けします。こちらは2024年3月16日に配信した記事の再配信です。】
道長との結婚は反対されていた
987年12月16日、藤原道長は22歳のときに、2歳年上の倫子と結婚します。倫子の父は、源雅信です。源雅信の父は敦実親王であり、祖父は宇多天皇です。源雅信はいわゆる宇多源氏だったのです。源雅信は、娘・倫子が結婚する頃には、左大臣を約10年務めていました。
一方、道長の父・藤原兼家は右大臣、孫の一条天皇の即位によって、摂政となり、源雅信より位は上でした。何の不満もない結婚のようですが、当初、源雅信は道長のことが、気に入らなかったようです。
『栄花物語』には次のようにあります。
道長は、源雅信が将来の妃候補として大切に育てあげていた娘・倫子に思いを寄せます。しかし、源雅信は2人の結婚に大反対していました。源雅信は、道長のことを「こんな青二才を婿にできるか」と言っていたそうです。
道長の「倫子を私の妻に」という声を聞こうとしません。確かに、道長は22歳とまだ年齢も若いです。道長の兄・藤原道隆は35歳、権大納言になっていましたから、それと比べたら、見劣りしたのかもしれません。
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