「一家立三后」を成し遂げたのは誰?
いよいよ、娘の彰子を天皇に入内させるときが来た――。藤原道長も「ここから勝負だ」と気を引き締めたことだろう。長保元(999)年11月1日、彰子が12歳(年齢は数え年、以下同)で一条天皇のもとに入内を果たすと、その6日後の7日には女御宣旨が下された。
もちろん、入内にあたっては、彰子の母で道長の妻である倫子も付き添った。
周囲は倫子の足元にさぞ気を配ったに違いない。というのも、36歳の倫子は妊娠しており、臨月を迎えていたのだ。娘が入内した翌月の12月、倫子は威子(たけこ)を無事に出産している。 威子は道長・倫子夫妻にとって3人目の娘である。
それから7年以上の月日が流れて、寛弘4(1007)年8月、道長は金峯山(きんぷせん)への参詣を行うなど、娘の懐妊を願ってやまなかった。この時点で、すでに入内して約8年の月日が経ち、彰子が20歳を迎えたことも、道長の焦りにつながったのだろう。
一方、44歳になる倫子はその年の1月に、さらに嬉子を生んでいるのだから、ずいぶんと元気だ。倫子はこの嬉子を末子として、道長との間に、2男4女と6人の子を成した。
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