なぜ、倫子はそんなに怒ったのか。理由は2つ考えられる。
一つは、彰子のめでたい出産に喜べなかった人々もいたということだ(記事「中宮彰子が皇子出産」喜ぶ道長と周囲の"温度差"」参照)。よく気がつく倫子だから、夫の言動に呆れて居たたまれなくなったのだろう。
だが、それと同時に、倫子が道長をいかに支えてきたかを考えると、「いい夫を持ったなあ」という道長の自画自賛が、たとえ冗談であったとしても、シンプルにムカついたのではないだろうか。「いい妻を持ったなあ」と、あなたは言うべきじゃないの、と。
息子の結婚に道長が実感を込めたひと言を
調子に乗って思わぬ失言をしてしまった道長だが、本心では妻のおかげで今の自分があるとわかっていたようだ。
『栄花物語』によると、道長と倫子の長男・藤原頼通が、天皇家ゆかりの隆姫女王と結婚することになると、道長は「おそれ多い」と恐縮しながら、こんな言葉を言ったという。
「男は妻がらなり」(男というものは、妻の家がらによって良くも悪くもなる)
倫子は万寿4(1027)年、自身が64歳の時に道長に先立たれるが、その後も子どもたちを支え続けて、天喜元(1053)年6月に人生を閉じる。長女の彰子以外の3人の娘にも先立たれながら、道長の妻・倫子は実に90歳の長寿をまっとうした。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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