道長と倫子の子である藤原教通が新たな内大臣の候補として囁かれるなかで、藤原道長の異母兄に当たる藤原道綱は、倫子にこんな呆れたお願いをしている。
「自分は病もきわめて重く、政務にも堪えられません。ただし、上席の納言として何年も苦労を重ねてきました。うかがった話によれば、左大将の藤原教通を内大臣に任じるとのことですが、私にその内大臣を貸していただけないですか。1カ月ほど出仕して、辞退しようと思います」
道長にかけ合ってダメだったので、妻の倫子にアプローチしたが、やはりダメだったようだ(当たり前だ)。
時に、その人物の性格は「どんなことを言ったか」と同じくらい「周囲にどんなことを言われるような人だったか」に現れたりする。倫子は、周囲からお願い事をされやすい、温和な人柄だったのではないだろうか。
倫子が夫に激怒したシンプルなワケ
そんなふうにいつも周囲に気配りをした倫子だったが、お祝いの場でいきなり退席して、道長を慌てさせたことがあった。
それは、寛弘5(1008)年11月に「五十日(いか)のお祝い」が執り行われたときのことである。
道長からすれば、娘の彰子と一条天皇との間に待望の世継ぎが生まれて、50日目のお祝いだ。可愛い孫の敦成親王にすりつぶした餅を食べさせながら、道長は上機嫌そのもの。思わず饒舌になって、こんなことを口走った。
「私は中宮の父にふさわしく、私の娘としても中宮は恥ずかしくない。妻もまた幸運に微笑んでいるようだ。いい夫を持ったなあ、と思っていることだろう」
道長からすれば、酒の席での戯れにすぎなかったことだろう。だが、この発言を聞くや否や、妻の倫子はその場から退席してしまう。異変を察した道長は、そのあとを慌てて追いかけたという。
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