令和ロマンで話題「大学お笑い」勢いを増す背景 R-1やキングオブコントでも存在感が高まる

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翌95年に第2回目となる同大会の団体戦で優勝、96年に個人戦となった大会で1~3位を独占した創価大学「落語研究会」の部長を務めたエレキコミック・やついいちろうは、著書『それこそ青春というやつなのだろうな』(PARCO出版)の中でこう書いている。

「甲子園のようなお笑いの大会があれば……。悩んだ結果、ないなら作ればいいんじゃないかと気付いた。(中略)そんなある日、互いの大学のライブに出たりと、それまでになかった新鮮な活動をしている中、今立(筆者注:進。現在の相方)が新聞の切り抜きを持ってきた。『第1回全国大学対抗お笑い選手権大会』開催の記事は、落研に激震をもたらした」

やついの後輩であるナイツの塙宣之、土屋伸之も同サークル出身。やついは、多摩美術大学の落語研究会を「オチケン」として復活させた元ラーメンズの小林賢太郎、片桐仁らと交流を深めつつ、「全国大学対抗~」と同時期に始まった『赤坂お笑いD・O・J・O』(お笑いイベントおよびラジオ番組)にも参加している。

ちなみに1990年代はコント(主にショートコント)が全盛の時代。『赤坂お笑いD・O・J・O』でも、アンジャッシュ、バカリズム、バナナマンらコント師が結果を残している。

一方で、大手芸能事務所・アミューズが2001年にお笑いコンテスト『ギャグ大学偏差値2000』を開催。見込みのある学生芸人をお笑い部門に所属させようと奔走していた。

このあたりの流れが、2000年代に活動したコントユニット「WAGE」(かもめんたる、小島よしおらが在籍したコントグループ。2006年活動休止、解散。元は早稲田大学のお笑いサークル)、ザ・ギース(高佐一慈は早稲田大学、尾関高文は明治大学。お笑いサークルの交流を通じて出会った)といった芸人たちが出て来る土壌を作ったと考えられる。

M-1甲子園も開始、若い層に広がる

大学お笑いが盛り上がる一方で、スクールJCA(人力舎)、NSC東京校(吉本興業)など関東のお笑い養成所も定着し、2001年からは『M-1』、2002年からは『R-1』といった賞レースがスタートした。

さらに吉本興業が開催する大会は広がりを見せ、2003年からは高校生お笑いNo.1を決める大会『M-1甲子園』(2009年から『ハイスクールマンザイ』へとリニューアルされた)を開始。漫才人気を若い層にも定着させていく。

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