スタバ「フラペチーノを発明してない」意外な過去 コーヒーにこだわる地域の店が変貌を遂げるまで

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そのような初期スタバのローカリズム志向は、その店の場所にもよく表れている。

パイク・プレイス・マーケットはアメリカの中でも最も歴史の長いマーケットで、全米有数の農産物の産地であるワシントン州からの産直野菜やフルーツ、新鮮な魚介類が所狭しと並べられている場所なのだ。ローカルに密着した場所でスタバを作るという選択自体が、初期のスタバが目指している姿を物語っている。

そしてもう1つ重要なのは、彼らがローカル志向であると同時に「コーヒーの品質」に徹底的にこだわったということである。

後にスタバに入社し、スタバをグローバルチェーンへと育て上げたハワード・シュルツは、彼らのコーヒーへのこだわりについて「スターバックスの創立者にとって、コーヒーの品質がすべてだった」と述べている。そしてその背景について次のように書いている。

「1970年代に入ると、アメリカ人、とくに西海岸で暮らす人々は腐りやすくて味気ない人工風味料を加えた包装食品を嫌うようになった。その代わりに、新鮮な野菜や魚を料理し、焼きたてのパンを買い、自分でコーヒー豆を挽くことを選択した。まがい物や加工品、二流品を拒否して、本物や自然食品、高級品を受け入れたのである。こうした人々の嗜好の変化は、スターバックスの創立者たちの発想とうまくかみ合った」(ハワード・シュルツ『スターバックス成功物語』)

大量消費の時代、食のあり方を問い直す考え方と連動

1950年代から60年代にかけて、アメリカではいわゆる大量消費社会が形成され、マクドナルドのハンバーガーに代表されるような、人工的な食が大量に作られるようになっていった。

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この時期にポップ・アーティストとして有名なアンディ・ウォーホルが、有名な「キャンベルスープ缶」の絵を描いているが、それはある意味では食品が工業製品のように作られていくという時代を的確に表現したものであった。

人々が自由に好きなものを選択し、食べることのできる社会は望ましいものだが、一方では工業製品のように食が作られることに対する疑念も生まれていた。

1960年代末、都市での生活を否定して自然へと回帰することを訴えた西海岸のヒッピームーブメントなどと連動して、食のあり方を問い直す考え方が西海岸を中心に広まりつつあった。

例えば、そのような思想から生まれたのが「スローフード」であったり、オーガニック志向といった食に対する考え方であった。

西海岸の思想の中心地でもあったカリフォルニアから、スタバのあったシアトルは距離が離れてはいたものの、そうした同時代的な食に対する思想と連動するものがあった。その中でスタバの創業者3人はコーヒーの品質に徹底的にこだわった、地元密着型の店を作ろうとしたわけである。

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