ネガティブな「後悔」の感情が人間に必要な理由 私たちの成長を促す"生産的な後悔"とは
もうひとつの考え方は、「感情は感情のためにある」というものだ。この考え方によれば、感情は人間の本質にほかならない。自分がいだいている感情について語り、感情を吐き出し、感情にどっぷりつかればいい。「自分の感情をつねに信じるべし」とされる。
感情を尊重し、言ってみれば玉座に載せて崇めよ、というわけだ。真実は感情にあり。感情こそがすべてであり、それ以外のものはすべて脇役的な存在にすぎないと、この立場を取る論者は主張する。
ネガティブな感情にどっぷりつかるのは危険
ネガティブな感情、とりわけ後悔の感情に関して言えば、この考え方に沿って行動することは、現実逃避により幻想を生み出すパングロス流のアプローチに輪をかけて危険だ。
過度に後悔しすぎることには、リスクがついて回る。ときには、壊滅的なダメージが生じる場合もある。過去の経験を脳内で何度も反芻する結果、心理的幸福が著しく落ち込んだり、過去の失敗のことばかり考えて前向きの思考ができなくなったりしかねない。
過去の出来事を後悔しすぎると、さまざまなメンタルヘルス関連の問題が発生する可能性がある。とくに目につくのは抑鬱と不安だが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が生じるケースもある。「くよくよ後悔し続ける人は、人生の満足度が低く、ネガティブな出来事への対応が難しい場合が多い」と、ある論文は指摘している。
そのような傾向は、後悔を繰り返す場合にとりわけ強まる。繰り返しの思考が後悔に拍車をかけ、後悔が繰り返しの思考に拍車をかけることにより、苦痛の悪循環が生まれかねないのだ。
反芻することを通じて思考が明晰になったり、取るべき行動がはっきりしたりする効果は期待できない。むしろ思考が混乱したり、課題に集中できなくなったりする。感情にどっぷりつかれば、私たちは言うなれば感情の反響室を築いて、そこから簡単には抜け出せなくなる。
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