とはいえ、大学入試に合格したのであれば、どうにかしてお金を準備しなければならない。そこで、彼は奨学金を借りることにした。
「毎月6万程度振り込まれていたのですが、すべて2万7000円の家賃と生活費に充てました。というのも、当初は僕の大学進学を良く思わなかった母が、最終的には学費を捻出してくれたからです。本当にそのことには感謝しかありません」
こうして、家族の支えもあって大学に入学した濱井さんだったが、進学先は思っていた環境とは大きく違った。
「まるで高校の延長でした。進学先の学部はほとんどが学級崩壊しているような高校から、推薦枠で入学してきた学生ばかりだったので、大学の講義も成り立たなかったんです。
木造の校舎なのに学生たちはその中でタバコを吸っていたり、講義中も後ろの席の学生たちが騒いでいるので、前の席に座らないとまともに教授が何を話しているのかすら聞こえない……。教授が入ってきて開口一番に『お前らみたいな猿がおるからこの大学はダメなんじゃ!』と言い出したこともありました」
他校と交流しショックを受け、仮面浪人を決意
一方で、他校との交流があるインカレサークルに参加することで、彼の世界は広がっていく。
「入学早々『大学のランクも、通う学生の民度によって変わるのかな』と思うようになり、ユースホステル部に入部して同志社大学や京都大学などの学生たちと交流するようになったのですが、彼らは髪の毛も染めてないし、眉毛も剃ってない。会話する前から同じ学生なのに全然違う雰囲気でした。そして、いざ話してみると人としての余裕があるし、自分が知らないことをたくさん知っている……。
そこで、自分が何も知らない小さな子どものように思えてしまったのと同時に『彼らみたいにならないと、これから自分はずっとコンプレックスを抱えて生きていくんだ』とショックを受けたんです。自分は当時、総理大臣の名前すら知らなかったので……」
こうして、他校を受け直すために、仮面浪人を決意する……というのは、濱井さんがほかでもよく話していることだが、あまり話してこなかったこともあった。奨学金を借りていたことで、再受験のスタイルが決まったのだ。
「大学を辞めたり、卒業してしまうと、返済が始まります。また、『新卒カード』の重要性をみんな語っていました。なので、大学を辞めて半年後から始まる奨学金を返済しながら勉強するのではなく、今の大学に在籍しながら、大学入試を受けられる学力をつけようと思ったんです。当時は中学校レベルの英語の勉強から始めないといけないほど、学力がなかったですしね……」
しかし、大学に通いながら勉強するにも金はかかる。そこで、濱井さんはアミューズメント施設の店員や、甲子園球場の売り子などのアルバイトにも勤しみながら、仮面浪人生活を続ける(その間も奨学金の支給は続いていた)。
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