人気芸人でも敗退、M-1「番狂わせの歴史」の起源 創設者が解き明かす「裏方目線」のM-1誕生秘話

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「名前のある人が、けっこう(準決勝で)落ちてる……」と同番組で指摘したのは、M-1決勝戦のMCでもある今田耕司だ。

「若い人が出てきたと感じられる。僕らはもちろん知ってますけど、皆さんご存じない芸人さんがどんどん出てきてるカンジがする」と伊藤は説明し、今田は「(彼らは)M-1対策してるもんね」と。

近年、バラエティ番組で見ない日がないようなコンビが予選で勝ち進めないのがM-1。この大会のために仕事をセーブしたり、手弁当で全国を回り、ライブをしたりして力をつけ、臨んでいるコンビもいる。

ライブと路上で力をつけたNON STYLE

それで思い出されるのは2008年に優勝したNON STYLEだ。

まだ本格的に東京進出を果たせていなかった頃のこと。筆者は大阪の読売テレビの深夜の番宣番組で彼らと数年間、共演していた。同年の夏、「M-1グランプリで優勝したいんですツアー」と銘打ち、NON STYLEは全国6都市でライブを行っていた。

NON STYLEの石田明曰く「まったく話題にならなかった」「誰も取り上げてくれなかった」。

そんなたくさんの悔しい想いを胸に臨んだM-1グランプリ。私はNON STYLEのネタのときにしか笑わないと心に決め、決勝戦の客席に座っていた。

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