相手のニーズに合わせて違う対応をすることは、アエロフロートの客室乗務員が考えたのと違って、けっして特別扱いではない。むしろそれは公平のために欠かせない条件のひとつだ。
機内食にベジタリアンメニューを加える、グルテンフリーのパンを用意する、女性用のトイレの数を増やすといったことは、ベジタリアンや、小麦アレルギーの人や、女性を優遇することにならない。単に、基本的なニーズを満たすという点において、それらの人々をほかの人たちと同等に扱っているだけだ。
自由市場派が考える公平
おもしろいことに、社会主義者とは政治的に正反対の立場の人たち、つまり自由市場派の経済学者たちも、平等や公平については、まったく違う観点ながら、やはり同じように狭い捉え方をしている。
自由市場派の主張では、社会主義制度が行き詰まるのは、経済への貢献度はひとりひとり著しく違うのに、すべての人に等しく報酬を支払うことで(毛沢東時代の中国や、クメール・ルージュ時代のカンボジアのように極端な場合を除き、完全に等しくなることはなかったが)、不平等度を低く抑えようとするからだとされた。
自由市場派にいわせれば、経済に多大な貢献をしているのは発明家や、投資銀行家や、脳外科医や、起業家といった人々だ。それ以外は、相応の役割を果たしている者が大半を占め、一部には最も基本的な仕事にしか向いていない人もいる。
そのような社会で、人々の報酬を似たり寄ったりのものにすることで不平等をなくそうとするのは愚の骨頂である。有能な人が貢献度の割に低い(ときにばかばかしいほど安い)報酬しかもらえないのは、不公平というだけでなく、有能な人々から努力や投資や創造の意欲を奪うので、社会にとって有益でもない。そんなことをしても、みんなで平等に貧乏になれるだけだという。
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