「私人逮捕系ユーチューバー」応援する人々の盲点 褒めそやす人たちにも大きな問題がある

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こうした背景には、もしかすると「現状が変わりそうもない」といった悲観があるのかもしれない。勧善懲悪による「世直し」で、先の見えない時代に突破口を開ける、そんな存在を求めている可能性は否めない。また、ここ数年では、滝沢ガレソ氏をはじめとした「炎上系インフルエンサー」の影響も大きいだろう。

ただ、SNS上での人気を集め、収益を高めていくからには、「支持者」の存在が前提だ。そのためには、まず知名度を上げる必要がある。では知ってもらうには……となると、どんどん過激な内容に手を出していくのも、賛同はできないが、流れとしては理解できる。

このような前提を踏まえて、「私人逮捕系を称賛する人に欠けた視点」を考えてみると、以下の3つが浮かんだ。

(視点1)無実の誰かを傷つける可能性がある
(視点2)その「無実の誰か」に自分がなる可能性もある
(視点3)わかりやすい「勧善懲悪」に踊らされ、冷静な判断ができていない

「無実の誰か」を傷つける場合もある

それでは、ひとつずつ見ていこう。

(視点1)無実の誰かを傷つける可能性がある

「私人逮捕」を行い、警察に引き渡すまでの一連を、動画に収めて投稿する。動画は再生数を集め、視聴者は爽快感を得て、YouTuberは収入を得る……それでよくない? と考えるネットユーザーも、おそらく一定数いるだろう。

しかし、これはあくまで視聴者側の視点だ。コロアキ氏の事案がそうだったように、無実の誰かが「濡れ衣」を着せられてしまう可能性があるからだ。

また、仮に逮捕容疑が順当だったとしても、警察の捜査に支障をきたすおそれがある。YouTube上に「モザイクなしの顔出し動画」が残り続けていることにより、捜査のみならず、起訴や判決にまで影響が及ぶ可能性もある。

「撮って、アップして、それでおしまい」という簡単なものではないのだ。

(視点2)その「無実の誰か」に自分がなる可能性もある

現実に起きているように、私人逮捕系YouTuberの動画には、勘違いによる「濡れ衣」も存在する。それは裏を返すと、喜んで見ていた視聴者自身や、大切な人が、その「無実の誰か」になってしまう可能性がある、ということを意味する。

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