「はい論破!」で損をする人が知らない議論の極意 話し合いがいつも「水掛け論」に陥る根本原因
議論のあるべき姿は、ソクラテス哲学を学ぶとよくわかる。ソクラテスの弟子だったプラトンが書いた『ソクラテスの弁明』(納富信留訳、光文社古典新訳文庫)は、ソクラテス哲学の入門書だ。本書を題材に、ソクラテス哲学から「議論のあるべき姿」を探ってみよう。
ソクラテス哲学の概要
約2400年前、古代ギリシャの都市・アテナイに、のちに「哲学の祖」と称されたソクラテスがいた。ある日、神殿で「神のお告げ」を担当する巫女が、ソクラテスの知人にこう言った。
「ソクラテスより知恵がある者は、誰もいない」
私ならこう言われると、つい喜んで舞い上がるところだが、それを聞いたソクラテスはマジメに考え込んでしまった。
「俺に知恵なんてないんだが。でも神様がうそつくわけないよな。これは神様の謎かけなんじゃないかな」
ソクラテスはさっそく、検証することにした。自分より知恵がある人物を見つければ「神様、それ、間違いですよ」と言える。そこでソクラテスは、アテナイの「自分は知識も知恵もある」という知識人たちをつかまえては、問答を繰り返してみた。しかし驚いたことに、知識人は誰ひとりキチンと質問に答えられず、最後には言葉に詰まってしまう。こうしてソクラテスは気がついた。
「知識人だって言っているけれど、誰一人ちゃんと答えられないんだなぁ。知らないのに知っていると言う人よりも、『俺は知らない』と自覚するだけマシなのか」
しかし恥をかかされた知識人たちはソクラテスを逆恨みするようになった。一方で若者は「知識人は偉そうだけど、大したことないぞ」と考えてソクラテスの真似を始めた。結果、ソクラテスは「若者を堕落させた」として裁判で訴えられた。
その裁判の一部始終を弟子のプラトンが書いたのが、本書「ソクラテスの弁明」である。
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