「はい論破!」で損をする人が知らない議論の極意 話し合いがいつも「水掛け論」に陥る根本原因
ソクラテスの問答法
本書に、ソクラテスを告発したメレトスとの裁判での対話が掲載されているので紹介しよう。(注:原文をくだけた調子に変えたうえで一部を省略している)
ソクラテス「そうか。君は若い人が良くなることが大事というんだね」
メ「むろん、そうだ」
ソ「教えてくれ。誰が彼らをよくするんだろう?」
メ「………。法律だ」
ソ「そんな事聞いてない。『どの人間が』と聞いているんだ」
メ「ここにいる裁判員の皆さんだ」
ソ「それは、裁判員の全員かな。それとも一部かな?」
メ「全員だ。傍聴している人々も、区会議員たちもだ」
ソ「若者には沢山の助っ人がいるってことだな。私を除いて」
メ「まったく、私はそのとおりのことを主張している」
ソ「他の人々が助けるなら、私一人が堕落させても問題ないのではないか?」
これが典型的なソクラテスの問答法だ。相手に徹底的に語らせたうえで、その矛盾点を指摘するのである。そして、より深い議論につなげているのだ。それは相手にとっても気づきが多いはずだ。
メレトスとのソクラテスの問答は一見、揚げ足取りに見えるかもしれないが、彼の真意は違う。ソクラテスは相手を茶化しているのではない。真剣なのだ。
ソクラテスの考えの根っ子にあるのは「自分は知らないという自覚」だ。彼はこの自覚を出発点に、本当に自分が知っているのか否かを、他者との対話を通じて謙虚に吟味し、検証し続けている。
玉川大学名誉教授の岡本裕一朗氏は著書『教養として学んでおきたい哲学』(マイナビ新書)で、こう述べている。
「よく言われるところのソクラテスのちゃぶ台返しは、正面から相手を否定するのではなく、相手にトコトン語らせた後、相手の中の自己矛盾を指摘して、最終的にひっくり返すというもので、実はこれが〝問答法〞の一番基本となるスタイルになるのです。(中略)日本人の議論があまりうまく行かない理由は、お互いに論点が異なっているのにもかかわらず、自分の主張のみをぶつけ続けるからであり、それゆえ、相手を的確に批判することができないのです」
国会答弁を見ていても、与野党の議論はすれ違い、自分の主張の繰り返し。相手の主張の矛盾を突く議員は少数で、的確に相手を批判できない。国民を代表する知識人であるべき国会議員にしてこのありさまだ。
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