これにより、バナナの町シエナガでストライキに参加していた労働者が多数射殺された(その数は議論されているが、47人とも2000人ともいわれる)。
このバナナ大虐殺はノーベル文学賞を受賞したコロンビアの小説家ガブリエル・ガルシア・マルケスの手によって、名作『百年の孤独』(わたしの愛読書のひとつ)の中で永遠に人類の集合的記憶に刻み込まれることになった。
その小説の中で描かれるこの事件では、3000人以上の労働者が殺されて、その遺体が鉄道の貨車でマコンド(小説中の架空の町)のバナナプランテーションから運び出され、虐殺の証拠がすべて隠滅される。
19世紀末から20世紀半ばまで、アメリカのバナナ企業のこのような過酷な支配下に置かれた中央アメリカや南米北部の国々は、「バナナ共和国」と呼ばれるようになった。この呼び名が最初に使われたのは、アメリカの短編小説作家O・ヘンリー(本名ウィリアム・シドニー・ポーター)の1904年の短編「提督」においてだ。
アンチュラというホンジュラスがモデルの架空の国を舞台とするその短編で、O・ヘンリーは財政的にも組織的にもみじめな状態にある政府を描き、アンチュラを「バナナ共和国」と呼んだ(作家自身が1897年にホンジュラスで流浪生活を送っている)。
「バナナ共和国」の意味
およそ半世紀後の1950年には、チリの詩人でノーベル文学賞受賞者であるパブロ・ネルーダが、「ユナイテッド・フルーツ・カンパニー」という詩の中で「バナナ共和国」のことを語り、さらにこの呼び名が広く知られるようになった。
現在のアメリカやそのほかの富裕国では、「バナナ共和国(リパブリック)」という言葉は服のブランド名としてしか知らない人がほとんどだ。しかし、もともとは貧しい途上国が富裕国の大企業に専制的な支配を受けるという暗い現実をいい表した言葉だった。
それを服のブランド名に使うのは、よくいえば無知であり、はっきりいえば侮辱だ。豆を挽く流行のカフェを「悪魔の粉挽き」と呼んだり、高級サングラス店を「暗黒大陸」と名づけたりするようなものではないか。
(翻訳:黒輪篤嗣)
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