ワインの神様が認めた醸造家、天職との出会い方 「逃げ道」があれば挑戦する恐怖心は和らぐ
こう話すと、すごい決断力で未来を切り開いてきたように見えるかもしれないけれど、私はその時々で嫌なことから逃げて、好きなことだけをしていたかったんですよね。わがままだったんだと思います。
大学を中退したのも肌に合わなかったからだし、お笑い芸人を目指すことを辞めたのも、早稲田の演劇サークルの雰囲気が合わなかったから。
だから、「好き」に突き動かされてカリフォルニアに渡った時も、実は「この道に進むぞ」なんて決め切れていなくて。
「どうなるか分からないけれど、やってみよう」と半分は不安な気持ちで、カリフォルニア州立大学フレズノ校に入学しました。
分からないことだらけの大学生活
入学後は、とにかく何もかもが分からない生活が待っていました。
まず、英語が分からない。またワイン醸造には理系の知識が必要で、化学や数学の授業もあるのですが、文系出身だった私には、ちんぷんかんぷんで(笑)。
学生時代から苦手なことはすべて避けて通ってきた私にとって、敬遠していた理系の分野で基礎から学んでいく過程は想像をはるかに超えて大変でした。
それでも頑張れたのはやっぱり、フランスで出会ったあのおばあちゃんの姿への強い憧れがあったからかなと思います。
そもそも言語が理解できなかったり、授業にもついていけなかったりと、ワイン造りの前段でつまずいていた私は、授業と並行して大学付属のワイナリーでボランティアをし、体でワイン造りを習得していくことにしました。
毎日ワイナリーに足を運び、ワイン造りの知識や技術を見よう見まねで吸収する日々。
そんな生活を4年続けたある日、卒業生の中から一人だけ選ばれるワイナリーのアシスタントとして声を掛けていただいて。