仕事における実践を通じた学びというのは、その会社における事例や誰かが「その場における正解」として確立したものであり、ある意味では一例や個別解という側面が強く、包括性という意味においては問題が残ります。
別の場所に行ったり、別の前提に遭遇した際に、そのやり方が通用するかはわからないです。
一方で、座学やスクールなどでの学びは、いわゆる一般解であり、全体感を把握するという意味においては優れています。
とは言え、座学だけで実際の仕事が回せるほど世の中甘くはありませんから、やはりこれも万能、というわけではありません。
要は双方ともに、いい部分と悪い部分があるので、相互補完するのがベスト、ということです。
学習を通じて全体感や理論をキチンと学ぶ、そして実践を通じて自分の中で知識から経験に昇華させるとともに、知恵や武器にも昇華させることが大切です。
そのように考えると、たしかに勤務時間という意味においては、どうしてもある程度の時間的制約などがかかってくることは仕方のないことです。
24時間の使い方は自分の工夫次第
一方で、自分の時間というのは自分次第です。
人間皆24時間という1日に持っている時間自体は平等ですが、その使い方は個々人の工夫次第であり、その使い方や工夫によってキャリア上、または人生上の違いがでてくる、というわけです。
さらに言うと、勤務時間も例えば1日8時間とか9時間とか、皆平等だったとしても、その密度を自分で変えることはできるハズです。
拙著『学歴なんて関係ないはやっぱり正しい』などでも触れていますが、かつて私が若かったころは勤務時間における制約が今よりは自由度が効いたこともあり、勤務時間および自分自身の時間における双方において、「圧倒的な時間投入」に加えて、「極限まで密度を高める」、という2軸の強化を図り、結果を最大化することを目指したものです。
現在における前提においても、後者の密度を高める、ということは自分の工夫次第でいくらでもやりようがありますし、前者の時間においても、勤務時間外も入れて総合的に勝負、ということで解決はできるわけです。
つまりは、勤務時間や仕事の最中だけが学びの時間ではない、ということです。
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