日本人が知るべき「大人が消えている」危機の実態 成熟に必要な人を「社会が求めていない」怖さ

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内田樹
「今の日本社会には大人がいなくなった」と語る思想家の内田樹氏(写真:ヒラオカスタジオ)
「今の日本社会を見て、いちばん足りないと思うのが“成熟”」と語るのが、思想家の内田樹氏だ。「未成熟であることは誤りでも罪でもないが、まっとうな大人の比率が高まれば、たいへんに住みやすい世の中になる。ところが、今の日本社会には大人がいなくなった」と内田氏は指摘する。大人の頭数を増やすためにはどうすればいいのか。新著『街場の成熟論』を上梓した内田氏に聞く(全2回の1回目)。

子どもの知性的・感情的成熟を支援した人が「大人」

――日本社会から「大人」が消えつつあるとはどういうことでしょうか。

「大人」をどう定義するかは難しい問題です。僕の個人的な定義を申し上げれば、大人というのは「周りの子どもたちの知性的・感情的な成熟を支援できる人」のことです。つまり、結果的に「大人」を創り出してくれるのが「大人」だということです。なんだか、同語反復みたいですけれど。

「大人」というのは、個人単体についての属性のことではなく、集団的な結果を検証して、「あの人は大人だった」と事後的・回顧的に確定される。子どもたちの知性的・感情的な成熟を支援した人が「大人」です。ご本人はいくら年を取っていても、社会的地位があっても、物知りでも、その人がいるせいで、周りの人たちの成熟が阻害されるなら、その人は「大人」としての役割を果たしていないので、僕の定義では「子ども」だということになります。

でも、そういう人いますよね。「大人はかくあるべし」とか「大人の流儀」とか、そういうことを小うるさく言う人がいますけれど、そういう人にちゃんとした大人って、あまりいないように思います。だって、「なるほど、大人というのは、そういうふうにすればなれるのか」と周りの人が信じ込んだら、それは、その人を幼児的な段階に押しとどめることになるんですから。

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