日本人が知るべき「大人が消えている」危機の実態 成熟に必要な人を「社会が求めていない」怖さ
子どもの知性的・感情的成熟を支援した人が「大人」
――日本社会から「大人」が消えつつあるとはどういうことでしょうか。
「大人」をどう定義するかは難しい問題です。僕の個人的な定義を申し上げれば、大人というのは「周りの子どもたちの知性的・感情的な成熟を支援できる人」のことです。つまり、結果的に「大人」を創り出してくれるのが「大人」だということです。なんだか、同語反復みたいですけれど。
「大人」というのは、個人単体についての属性のことではなく、集団的な結果を検証して、「あの人は大人だった」と事後的・回顧的に確定される。子どもたちの知性的・感情的な成熟を支援した人が「大人」です。ご本人はいくら年を取っていても、社会的地位があっても、物知りでも、その人がいるせいで、周りの人たちの成熟が阻害されるなら、その人は「大人」としての役割を果たしていないので、僕の定義では「子ども」だということになります。
でも、そういう人いますよね。「大人はかくあるべし」とか「大人の流儀」とか、そういうことを小うるさく言う人がいますけれど、そういう人にちゃんとした大人って、あまりいないように思います。だって、「なるほど、大人というのは、そういうふうにすればなれるのか」と周りの人が信じ込んだら、それは、その人を幼児的な段階に押しとどめることになるんですから。
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