日本人が知るべき「大人が消えている」危機の実態 成熟に必要な人を「社会が求めていない」怖さ

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――子どもたちの成熟を支援した人が「大人」とは、明晰な定義ですね。

複雑な現実を一刀両断に、シンプルな「物語」のうちに落とし込んで説明してしまう「賢い人」がいるとして、その人は「大人」でしょうか? 

僕は違うと思います。その人個人を取り出すと、たしかに知識もあるし、業績も立派だし、弁も立つかもしれませんが、その人が複雑な現実を単純化したせいで、周りの人たちが思考停止に陥ってしまい、知的成熟の機会を奪われたとしたら、それは「大人」の業績にはカウントされません。

僕が「今の日本社会には大人がいなくなった」と思っているのは、「その人がいるせいで、周りの人たちの知性が活性化し、感情が豊かになり、ものの考え方が深まるような人」がいなければならないということについての国民的合意がないという現実を指しています。誰もそんな人を求めていない。

複雑な現実を単純化しても、現実は複雑なまま

みんなが求めているのは、逆に「その人がいるせいで、周りの人たちが思考停止して、幼稚な感情に居着いて、定型的な言葉しか吐かなくなる」人たちです。そういう人のことを「大人」だと思っている。なにしろ、自分たちの知的負荷を軽減してくれるんですから、ありがたい存在ではあります。

――昨今のインフルエンサーに多いタイプですね。

でも、そういう人が複雑な現実を単純化してくれても、実際の現実はそれによって変わるわけじゃない。現実は相変わらず複雑なままですから、「複雑な現実」と頭の中でこしらえた「シンプルな物語」の間の乖離がただ広がるだけです。結果的に世の中はますますごちゃごちゃになってしまう。

それよりは「複雑な現実は、これこれこのように複雑なのであって、簡単な話には還元できないのである」というふうに、にべもなく記述してくれる人のほうがずっと教育的です。その人の話を聴いているうちに、「ああ、世の中は難しいものだ」としみじみ思うようになって、「ぼやぼやしておれん」と腰が浮く……というような遂行的な効果をもたらす人が「大人」なんです。

ギリシャ神話に「プロクルステスの寝台」という話があります。プロクルステスという盗賊がいて、通りかかる旅人をとらえて、自分の寝台に寝かせて、旅人がベッドのサイズより大きければ、足を切り落とし、サイズに足りなければ、足を引き伸ばした。複雑な現実を単純化する人たちは「プロクルステスの徒輩」です。

神話によれば、プロクルステスはある日テセウスに出会って、自分の寝台に縛り付けられ、頭と足を切り落とされて絶命したそうです。無理にものごとを単純化すると、あとで罰が当たります。

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