今回は、ラグビーワールドカップの話から始める。
フランス大会も、準決勝が終われば、あとは10月29日の決勝(日本時間)を残すだけである。
私の印象に残っているのは、15日に行われた準々決勝の「アイルランド対ニュージーランド」。最後の10分、とくに約5分間の息もつかせぬ連続攻撃のアイルランド、しのぎ続けるニュージーランドの死闘はすばらしかった。
なぜ「つまらない日本戦」に国民の多くが感動したのか
一方、日本はアルゼンチンに負けてグループステージでの敗退となったが、これがつまらない試合だった。双方ノックオンなどミスの嵐だった。後半、疲れた日本は、底力の違いで完敗した。某民放のテレビ中継が、アナウンサーも解説者も騒ぎ立てる応援をしているのを見て、げんなりしてしまった。
しかし、このように日本戦がつまらなかったと言っているのは、日本では私だけで、多くの国民は感動の嵐に包まれたようだ。いったいなぜだろうか。
それは、私は「ラグビーの試合を見ていた」が、日本の国民の多くは「ワールドカップにおける日本を応援したいだけだったから」である。つまり、試合の内容など二の次、ラグビーでもサッカーでもバスケットボールでも何でもいい。日本代表が世界と戦っていればいいのである。
もちろん、オリンピックはこの状況が最高に盛り上がるイベントである。人間の肉体の限界を見たいのではなく、日本の選手が金メダルをとるのを見たいのである。
しかし、今後はこんな古臭い国家への愛着などとっくに消えうせ、これからはスポーツそのものを見ることだけに集中するような、成熟したエンターテインメント消費活動の形になっていくだろう。
と信じたいが、実際はむしろ逆だ。
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