システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。
では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。
私は、違うと思う。
人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる。すなわち、(1)その国・地域で出生、(2)両親または祖父母のうち1人がその国・地域生まれ、(3)直前の5年間継続居住(2021年末までは3年間だった)、(4)通算10年居住――のうち、どれか1つを満たせば、その国の代表選手になれる。
しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである。
疲弊した資本主義の次に来るもの
これは何を意味するか。人々は、共同体に所属するのが大好きなのである。ただし、ご都合主義のいいとこ取りで、勝手に自由自在に共同体を都合よく変形し、次々と乗り換えるのである。SNSコミュニティーなどを見てもわかるように、便利な共同体を自由自在に好きなときに(大概は一時的にのみ)利用したいのである。
したがって、次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。
国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう。
(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)
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