これは、さらに壮大な近代資本主義の構造を示唆している。すなわち、「国民国家」を要素の1つとして成立している近代資本主義とは、「ビジネス権力者」、もっと伝統的な言葉を使えば「資本家」が、国家を利用して、資本をさらに増大するシステムとして利用されてきたもののことである。
国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。
だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した。
近代資本主義、国民国家、民主主義が機能不全に
そして、これは武力による戦争以外でも同じことで、金融市場とは、まさに資本をどれだけ呼び込めるか、味方につけられるかで勝負は決まってきた。これがすべての面で成立してきた。
さらにいえば、民主主義というものもきれいなものとして人々に教え込まれているが、見方を変えれば、王侯貴族・旧領主層からブルジョワジーが権力を奪うために、民衆を「国民」と名付けて動員した仕組みと捉えられる。だからこそ、資本主義と民主主義は手に手を取って、同時期に発展してきたのである。
近代資本主義とは、市民を国民国家という形で君主が自分の国のために動員し、その国家を利用して資本が増殖していくという現象のことだった。市民は国家に搾取され、国家は資本に搾取された。そして、19世紀には資本家が労働者を搾取していることに悲鳴が上がったが、現代においては消費者は資本に直接搾取されても無自覚になってしまっているのである。
今や、近代資本主義と国民国家、この2つのシステムは同時に崩壊しかかっている。さらに民主主義も、明らかに機能不全に陥っている。
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