つまり、国というのは、ビジネスにとって非常に便利なものなのである。国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている。
なぜ国民国家が生まれ、今も残り続けているのか
そう考えると、国、国民国家というものはわれわれを知らず知らずのうちに不幸にしているものなのではないか。マルクス的な表現になるが、われわれを気づかないうちに搾取する手段にすぎないのではないか。
なぜ、こんな国民国家というものが生まれ、永続的と思えるまでに残り続けているのか。現代のわれわれから見ると、近代資本主義が誕生したときに、国民国家を受け入れてしまった近代欧州の人々は愚かだったのではないか。
すなわち、「ムラ」という共同体に所属するということは、中世の欧州では逃れられないしがらみでがんじがらめになることだと思われていた。それゆえ、中世の共同体的な社会から抜け出したのはすばらしいことのはずなのに、近代資本主義社会が始まると、中世までの共同体とは別の共同体にすぎない国民国家という新しいシステムに、なぜ「彼ら」は喜んで属してきたのだろうか。
しかし、逆に過去の「彼ら」からも、われわれは以下のような批判を受けるだろう。
君ら現代人こそ愚かではないか。オリンピックやワールドカップで、国別対抗世界選手権の祭りに動員され、金(カネ)を直接的(税金など)、間接的(CMを見ることにより洗脳される)に搾取されているのに、むしろそれを喜び、興奮している。馬鹿ではなかろうか、と。
しかも、21世紀の君たちは、もはや国民国家など必要ないはずだ。近代においては国民国家という枠組みがなければ、すぐに近隣の国民国家に取り込まれてしまう。国民国家という枠組みを超えた「帝国」に支配されてしまう。
国民国家は、自衛のための最強・最善の手段だったのだ。われわれはそういう必要性に基づき、国民国家を受け入れたのだ。君たちは国民国家というものを忘れている。いや、税金を取られたり、マスクをすることを強いられたり、面倒なことを強制される邪魔なものだと思っている。
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