「21世紀の貴族制」を正当化する現代の「聖職者」 シリコンバレーで進む「新しい封建制」の惨状

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確かに、環境保護主義者が示す地球環境の破滅の未来は、キリスト教における「最後の審判」の預言を彷彿とさせる。コトキンは、現代の環境保護主義を「グリーン宗教」とまで言う。

次の引用は、マルティン・ルターが教会の門扉に貼りだし、宗教改革の引き金を引いたとされる文書「95か条の論題」になぞらえては大げさだろうが、グリーン宗教の信者が目を覚まさずとも、そむけたくなるような辛辣な一節である。

だからといって、現実の環境危機に立ち向かう必要はないと言いたいのではない。それはちょうど、キリスト教による人間の罪や利己心への批判が、私たちの生活とは無関係だと考えてよいわけではないのと同様である。しかし、いまも昔と変わらず、貧しさを甘んじて受け入れるよう他人を諭したり、貧しさを美徳として称賛したりする人びとのなかには偽善的な連中もいる。中世において、大半の教区司祭とカトリック信者は厳しい窮乏状態にあったが、多くの司教は、ペトラルカが言うように「黄金を積み、紫衣をまとって」贅沢に暮らしていた。同じように、環境保護主義者は、一般市民に質素倹約を押しつけながら、環境保護運動を支持する超富裕層の身勝手な行為に贖宥状を与えている。「グリーン・リッチ(環境成金)」と呼ばれる連中は他人には消費を控えるよう呼びかけながら、自分たちは炭素クレジットを購入したり〔道徳的正しさをアピールする〕美徳シグナリングを示したりといったかたちで現代版の贖宥状を買っている。これによって、優雅に地球を救えるというわけである。先ごろ2019年1月、地球環境危機について話し合う会議に参加する人びとを乗せたおよそ1500機のプライベートジェットが温室効果ガスをまき散らしながらダボスに到着した。著名な気候活動家たちのなかで、豪邸やヨット、山ほどある自家用車を手放すそぶりを見せる者などほとんどいない。
(『新しい封建制がやってくる:グローバル中流階級への警告』第9章)

この環境保護運動を支持する超富裕層の偽善ぶりは、現代の時代精神を特徴づけるもののように思われる。類似の分析としては、本書の数カ月前に邦訳が刊行されたカール・ローズ『WOKE CAPITALISM─「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』があるので、参考にされたい。

現代の「聖職者」となった「有識者」とは何か

本書の中でも特に秀逸だと思うのは、第Ⅲ部における「有識者」の分析である。支配体制を維持するには、それを正当化する論理を提供する「正当性付与者」が必要である。中世の封建制においては、聖職者がその役割を果たした。

しかし、近代に入り、宗教の衰退とともに聖職者の正当化者としての役割は低下し、代わって、大学教授、科学者、公共知識人などのいわゆる「有識者」が「正当性付与者」となっていった。

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