「21世紀の貴族制」を正当化する現代の「聖職者」 シリコンバレーで進む「新しい封建制」の惨状

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この「有識者」について、コトキンは、より広く、教師、コンサルタント、弁護士、政府官僚、医療従事者、ジャーナリスト、芸術家、俳優など、物質的生産以外の仕事に従事する者を含めている。

現代社会は複雑であり、その運営には高度な専門的知識を要する。一般市民の政治参加、すなわち民主主義ではうまくいかない。高度な知識を有するエリートである「有識者」による支配のほうがうまくいく。このような論調がある。しかし、現代の「有識者」が実際に行っているのは、次のようにして、現支配体制を正当化することなのである。

有識者層と寡頭支配層の多くは、貧困の拡大、社会的格差の固定化、階級間の対立といった経済停滞の影響に対処しようとはせず、幅広い人びとのための経済成長よりも「持続可能性」の理想を追求している。中世の聖職者が物質主義に異を唱えたように、今日の学界やメディアで活躍するインテリたち、さらには企業エリートの一部も、ダイナミックな経済、イノベーション精神、日常生活の改善への取り組みといった考え方それ自体に懐疑的な目を向けている。「進歩は神話だ」という声すらある。このように、有識者たちのあいだでは、社会的上昇はもはや過去の遺風であり、いま私たちがなすべきは、富と機会を拡大する方法の探求ではなく、社会的不満の解消や環境保護くらいのものだという悲観的な思いが強まっている。(前掲書第3章)

支配体制を正当化する役割を果たす「有識者」

最近、我が国でも、「いま私たちがなすべきは、富と機会を拡大する方法を模索することではなく、社会的不満の解消や環境保護くらいのものだという悲観的な思い」を率直に表現するようなインテリたちが台頭しつつある。彼らは、権威や体制に反抗しているように見えるのだが、実際のところは、コトキンの言う「有識者」として、支配体制を正当化する役割を果たしてしまっているのかもしれない。

コトキンは、「新しい封建制がやってくるのをなんとか遅らせ、できれば押し戻さなければならない」と訴える。彼は、保守反動に分類されるような論者ではない。しかし、時代の流れが劣化に向かっているのだから、その流れに逆行する「反動」こそがむしろ進歩だというわけである。このような力強い表現は、「長いものには巻かれろ」「バスに乗り遅れるな」といった調子で、時代の流れや大勢に追従するのを旨としてきた現代の日本人からは、まず出てこないものであろう。

中野 剛志 評論家

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なかの たけし / Takeshi Nakano

1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『奇跡の社会科学』(PHP新書)などがある。

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