やはり誰かの差し入れのキアンティワインを素っ気ないガラスのコップに注いで皆に配り、それをちびちび飲みながら、夜中に食べるパスタの味は私の中に沁み込んでいる。誰もがお腹がぺこぺこになっても気がつかないくらい、ウプパでは皆喋べるのに忙しかったが、だからこそあのパスタの味はひとしお美味しく感じられたのかもしれない。
ウプパではいつもごちそうになってばかりだからと、私はある日ピエロとセルジオを家に呼んで、カラブリア出身の友達から教わったウサギの煮込みを作ったことがあった。ふたりは大袈裟なほど美味しいを連呼し、それから何度も、時には彼らの家で、時にはウプパで、私はこの煮込み料理を振る舞った。あんたは社会情勢のこともよく判っていないし、人間のこともよく判ってない。思想が無いから絵もつまらない、などと私の作品については散々な批判をしていたのに、ウサギの煮込みだけは“世界一”の称号をもらっていたのである。
時の経過と共に姿を変えて
それから時の経過とともに、ウプパに通っていた高齢者たちは様々な理由で徐々に姿を見せなくなり、ピエロも私が出会った5年後の冬に病気で亡くなった。ピエロの年金が唯一の収入源だったセルジオにはウプパをひとりで継続する力は無く、画廊は閉鎖し、皆で夜中にパスタや私の作ったウサギの煮込みを食べながら熱論を交わした空間も、あっという間に美容室か何かに姿を変えてしまった。
精神的に強いダメージを被ったセルジオから、淋しさと生き辛さを吐露する電話を何度か受け、その度私はウサギの煮込みを作るからうちに来てほしい、と声をかけ続けたがそのうち連絡は途絶え、しばらくあとになってから、アルゼンチンへ帰ってしまったという噂を耳にした。
味覚がもたらす記憶は、時に文字や映像の記録よりも鮮明に再現されることがある。25年もの時を経て久々に作ったウサギの煮込みだったが、そこには自分から決して消し去ることのできない格別の思い出の味が、ピエロやセルジオたちの美味しそうな表情と一緒に、しっかりと沁み込んでいたのだった。
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