ヤマザキマリさん「今の私を作ったカメオと老人」 イタリアに単身で渡った17歳が出会った「宝物」

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フィレンツェにて、カメオ職人のフォルテさんとの出会い。今の私を作ったとても大切な要素の一つだったと確信している(写真:おかき/PIXTA)
漫画家・文筆家として幅広く活躍するヤマザキマリさん。17歳でイタリアに単身で渡って以来、世界のさまざまな土地で出会ったかけがえのない人たちを描いたエッセイ『扉の向う側』から一部抜粋し、とっておきのエピソードを3回に渡ってお届けします(第1回)。

店の名前は「クァリア・エ・フォルテ」。直訳すると『鶉(うずら)と強さ』という意味になるが、要は「鶉氏」と「強さ氏」という二つの苗字を組み合わせたものだ。フィレンツェ市内の観光名所の一つにポンテ・ヴェッキオという、両脇に小さな貴金属店がびっしりと建ち並んだ古い橋があるが、この店は、その橋からピッティ宮殿に向かって続くグイチャルディーニ通りにあった。私が普段通っていたアカデミア美術学院のヌードデッサン科への通学路で、週に何度も歩いている通りだが、そんな店があることには全く気がつかなかった。

いつもと同じように学校に向かう

ポンテ・ヴェッキオに建ち並ぶ店々の、眩い光を放つ絢爛豪華なウィンドウは、常にそこを行き交う人々の視線を引き寄せていたが、しがない貧乏学生だった私はこのフィレンツェ屈指の観光名所である橋を、いつも脇目も振らずに渡っていた。そして、その日もいつもと同じように、丸めたデッサン用紙の筒を抱えて、授業に遅れまいと急ぎ足で学校へ向かっているところだった。ところが、通り沿いに並んだ店のガラス窓の向こうで、ひとりの老人が懸命に何かを彫っている姿が、不意に視界に入り込んできた。

然程大きくもなければ新しく改装されたふうでもない、謙虚で地味な佇まいのその店の存在に気がついたのは、アカデミアに通うようになってその時が初めてだった。店の枠の上にはネオレアリズムの映画に出てくるような、古めかしい看板もあるにはあったが、何か別なものを見たついででなければ誰も気がつかないくらい、控えめな仕様なので全く目立たない。というより、目立たせようという意図が無い。

私はふと足を止め、店のウィンドウに近づいた。ウィンドウにはベージュのサテン生地がなだらかな波を模したように敷かれており、その上に、まるで浜に打ち上げられた貝殻のようなものが並べられている。それらは大小様々な形と色のカメオだった。脇には、原型となる大きな貝そのものに直接ギリシャ・ローマ神話のモチーフを彫った立派なランプも二つほど展示してあった。カメオの他にも、地中海で採れる赤珊瑚をあしらった彫金細工が並べられており、どれもとても品があって美しい。

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