「石田三成襲撃事件」で一人ほくそ笑む家康の心奥 豊臣の天下を守る気で分裂させた実直すぎる三成

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そもそも家康と三成はそれまで目立った対立はありませんでした。関ヶ原の合戦後の三成の子どもたちに対する家康の寛容な処置をみても、家康は三成を評価はしても敵とみなすようなことはなかったように思えます(政権内での立場に差がありすぎるということもありますが)。

家康にとっては、加藤清正、福島正則を筆頭とする秀吉子飼いの大名たちが勝手に自分の影響下に入ったことは大きな自信となり、さらにチャンスと捉えるようになりました。

NHK大河ドラマ『どうする家康』 松本潤 徳川家康、中村七之助 石田三成
家康は三成の政治的手腕を評価していました(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

豊臣政権を分断する家康の謀略

家康にとって豊臣政権などは、正当性もなにもない怪しげなものでしかありません。秀吉自身、信長が掴んだ天下を盗み取ったのではないかという気持ちがあったと思います。

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家康は、秀吉が信長亡きあとの織田家を簒奪したときと同じ策を使います。それは政権内を二分化させて戦いを起こし、実力で奪い取るという手法です。

家康は政権内のクーデターではなく、秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いのような大戦を望んでいました。

いっぽう三成は清正らが家康を担ぎ出したことで、その対抗上、家康の権力を削がなければならないと考えます。ここで三成は家康を敵視するようになり、さらには自身が失脚(清正ら武断派七将が三成襲撃を企てて騒動が起き、家康が救済する代わりに三成は職を解かれることになった事件)すると、その危機感はいっそう増すことになりました。

三成は、自身の立場を逆転するには家康を排除すべく対抗勢力を形成しなければと考えます。それこそが、家康が待ち望んだことでした。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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