沢木耕太郎「なぜノンフィクションは生まれるか」 松下竜一が和田久太郎を描こうとした理由

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この『久さん伝』が「ここにこのような人がいた」という驚きから出発していることは間違いない。しかも、その叙述のスタイルは平明であり、奇を衒った新説などまったく提出されておらず、重要な発見資料と思われる「福田大将狙撃事件記録」もさりげなく挿入されているため、読み手は、単に和田久太郎を紹介するという情熱以上のものを感じ取れないまま終章まで頁を繰ることになるかもしれない。だが、その終章で、『久さん伝』が「ここにこのような人がいた」という紹介以上のものになる瞬間が訪れることが誰の眼にも明らかになる。

それは、和田久太郎の敬愛する望月桂夫人の妹であり、和田久太郎が獄中にあっては、形式上の妻となるまでしてその手紙の受け取り手となった望月しげと、筆者である松下竜一との取材をめぐるやりとりによってである。取材を依頼し、断られ、さらに手紙での質疑応答を依頼した松下竜一に対して、しげと同居している望月桂の長男、つまりしげの甥が、代筆というかたちで返事をよこす。その手紙の文面が、それ以前の『久さん伝』全六章に拮抗する重さで登場してくるのだ。とりわけ、なぜ取材に応じたくないのかを説明した文章に含まれる次の数行が、それまで松下竜一が多くの努力の末に述べてきたことを粉砕するかのような力を持って迫ってくる。

アナキストとして生きることの困難さ

《アナキストにはアナキストのもつ、それなりの過去から現在に至る過程から生じた意地みたいな「緘黙」がそうさせているのかも知れません。而もそれは当人達にとって大切なものなのです。御理解いただければ幸いです》

ノンフィクション、とりわけ他者を描こうとするノンフィクションにおいて、取材を拒絶する言葉を投げかけられることは必ずしも珍しいことではない。だが、この数行には、単に被取材者の取材者に対する拒否というだけではない、重いものがこめられていた。

戦前の日本において、アナキストとして生きることの困難さは、ほとんど現在の私たちには想像もつかないほどのものだったろう。それは運動の前面に出ている、いわゆる「主義者」だけでなく、その彼らを物心いずれかの面で援助していたシンパサイザーにとっても同じだったはずだ。

ある深い覚悟を持って関わっていったのだろうことは、この『久さん伝』からだけでもうかがい知ることができる。第二次大戦が終わるまで、あるいは、終わってからも、アナキストのシンパサイザーとして、周囲に対して身を固くして生きていかなければならなかった。彼らにとっては、アナキストとしての、あるいはアナキストのシンパサイザーとしての行動は、自らの良心に従ってのことだったに違いない。

その過去の行動が、罪悪視されないどころか、称賛されるような時代になったとしても、それはかくべつ人に誇るべきものではなく、他に知らしめるべきことでもなかった。それについて取材したいという申し出があったとき、たとえその相手がどのように良心的な書き手であっても、断りたいという答えは彼らの過去の行動から出てくる必然的な帰結でもあったのだ。

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