「10代から変わらない」師匠語る藤井聡太の本性 いかにして平常心を保ちながら対戦するのか

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反面、「この展開ならば自分のペース」といった得意もありません。本質的に、それが自分の足かせになることをわかっているのではないでしょうか。

多くの棋士には、おそらく8割以上と私は思っていますが、「将棋とはこのように進めてこう勝つべきだ」という共通認識、いわゆる「王道」があります。それはリスクを恐れない、相手から逃げない、自分を偽らない指し手のことです。

「目先の一番」に勝つことだけを意識しない

目先の一勝だけならどんな勝ち方でもよいのかもしれません。しかし棋士の現役寿命は長い。10年、20年、いや40年以上もこの世界でやっていくとなると、勝負に対して真摯でないと続かないものなのです。

気をつけなければいけないのは「こうすれば相手は間違えそうだな」と思う瞬間です。こう考えてしまうと、目先の一番に勝つことだけを意識した邪な考えや狭隘な指し手に支配されてしまうからです。

一流の人はけっして逃げません。合理的ではない選択、遠回りも苦にしません。なぜなら、相手の一番得意な展開、最高のものを浴びた時が、人は一番成長できるからです。だからこそ、自分の中の得手不得手、好き嫌いを超えて、損得で判断せず今目の前にあるものをそのままに、フラットに見る力が必要になるのです。

藤井はその点、本当にいつも客観的に盤上を見ていると思わされます。どんなに険しく ても恐れず、修羅の道を自ら選んでいるかのよう。それが困難に見えるのは錯覚で、本人はそう思っていません。

なぜならば、その先、その一局のゴールではなく、ずっと先に続く道が見えているから。それは、「構想力とは、人生の目的である」に共通する考え方です。後世に語り継がれる棋譜を残したいという目的があるからこそ、一喜一憂することなく突き進んでいけるのです。

それが平常心を保つということではないでしょうか。

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