「10代から変わらない」師匠語る藤井聡太の本性 いかにして平常心を保ちながら対戦するのか
藤井が目指す先には、他人の存在や、どこか知らないところでつくられた権威のようなものはない。だから記録にも関心がないのでしょう。タイトル獲得後の記者会見やインタ ビューでも気持ちを高揚させることなく落ち着いているのは、タイトルを獲ることが最終的な目的ではないからです。
人は誰でも得意や苦手があります。好き嫌いと言い換えてもよいかもしれません。しかし、その発想が平常心を妨げるのです。
「得意」「苦手」で対戦相手を見ていない
対人戦として考えると、藤井には苦手な相手がいません。誰と対戦しても勝っているから? そういう意味ではありません。
そもそも、この人は苦手だ、この人は得意だという目で対戦相手を見ていない。あれだけ負けていた豊島将之九段になぜ勝てるようになったのか。当時の状況から豊島九段は藤 井にとっての「壁」といわれていました。
2017年の棋王戦から、2020年の王将戦まで、藤井は豊島九段に一度も勝つことなく6連敗を喫していたのです。ただ、藤井は技術的な力不足を感じることはあっても苦手という意識では見ていなかったのでしょう。
誰かを苦手だと思ってしまうと、どうしても対戦するたびに、それが頭をよぎってしまいます。その思考が自分を縛ってしまうのです。
藤井が規格外なのはその逆の場合、例えば現時点ではほとんどの棋士に対して大きく勝ち越しています。傍から見ればすべての棋士を得意とするはずですが、そんな意識はありせん。そういう目で人を見ていないのです。
それは対「人」でなく、戦型や局面についてもいえます。「藤井の将棋」には苦手なパターンがありません。どんなに難解な局面でも面倒くさがらず、丁寧に最善手を探して着実にそこに辿り着きます。選ぶ戦法に多少の得手不得手はあるにしても、勝負の展開に苦 手は1つもありません。
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