「古文疎かにした社会人」先を読む力が乏しい理由 古典を読むことで、物事を推測できるように

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さて、突然ですがみなさんに質問です。



次の文は、文章の最初の導入部分です。

「荒れている村があって、賄賂などが横行していてひどい状態だった。しかしそこに、新しく、清廉潔白な役人が派遣されることになった。」

さて、この後どんなことが発生するか、どんな展開になりそうか、次の3つの中から選びなさい。

A 役人は住民から袋叩きにされた


B 役人は荒れている村を平和にした


C 村はずっと賄賂などが横行していてひどい状態のままだった


文章は、そのあとで文脈を無視してどんなふうにつながってもいいものですから、「この文章は必ずこうなる」と言うことはできません。

しかし、一定「きっとこうなるだろう」という予想は立てることができ、論理的に考えればこの問題の答えも必ず1つに絞ることができます。

今回私が想定した正解は、「B」です。この導入なら、B以外の展開になることはほとんどないと思います。

なぜそのように言い切れるかと言うと、文章というのは一定の「型」が存在していて、それ以外の展開になることはほとんどないからです。

型を知ることで、その後の展開を予測

例えば「シンデレラストーリー」という物語のジャンルをみなさんは知っていますか? 童話「シンデレラ」と同じように、「不幸の中にいた主人公が、ひょんなことから幸せになる」というストーリーのことを指します。

童話「みにくいアヒルの子」では、群の中で1匹だけ姿形が違い、虐められていた鳥が、最終的には美しい白鳥へと成長するという物語です。

世界的な名作「ハリーポッターシリーズ」では、意地悪な義父や義母から迫害されてすごしている主人公のハリーが、実は魔法を使うことができて、しかも恐ろしい悪の魔法使いを倒すことができるすごい血統だったことが発覚する、という物語です。

物語は、このように「変化」を楽しむ場合が多いです。不幸な主人公が幸せになったり、ダメな人物が最終的には立派になったり……。そして、「変化」という物語の型を知っていれば、我々は「不幸な主人公」を見たときに、「ああ、この物語はきっと、何かのきっかけで、この主人公が幸せになる物語なのではないだろうか」という目で見ることができるわけです。

そこから応用して、映画「ハリーポッター」を見ても、日曜劇場「半沢直樹」を見ても、漫画「ドラゴン桜」を見ても、「きっとこういうストーリーになるに違いない」と考えることができるわけです。

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