「古文疎かにした社会人」先を読む力が乏しい理由 古典を読むことで、物事を推測できるように

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もっと言えば、1000年前にも日本で「シンデレラストーリー」がありました。「落窪物語」といって、美しいヒロインが継母からいじめられながらも、貴公子に見初められて幸せになるというストーリーです。1000年前の物語であっても、「この落窪の姫はきっとこうやって幸せになるんだろうな」と考えることができるわけです。

「シンデレラストーリー」の作品を見るときには、もう我々の頭の中には「そこからどんな文章になるのか」がある程度浮かんでいるのです。どういうストーリーになるのか、ある程度予想できる部分があるので、読むスピードが速くなったり、理解しやすく読むことができたりするわけです。

文章を読めるようになるためには、この「型」を理解するのが一番手っ取り早いと言えます。型さえ頭に入っていれば、それがどういう展開になるのか、どこがゴールで、どんな流れになるのか、大体理解できるわけです。

小学校中学校、そして高校の国語の授業ではよく、名作を取り上げて読み合わせを行いますね。夏目漱石の「こころ」や、中島敦の「山月記」、芥川龍之介の「羅生門」などを読んだという人は多いのではないでしょうか。

あれらの文章をなぜ読む必要があったのかというと、あれらもまた「型」だからです。心情の変化や物語のリズムなど、ほかの文章を読むときに参考になるポイントがあるから、名作を読んでいるのです。

冒頭の問題をどう読み解く?

さて、先ほどの問題に話を戻します。

「荒れている村があって、賄賂などが横行していてひどい状態だった。しかしそこに、新しく、清廉潔白な役人が派遣されることになった。」

この物語は、「荒れている村」という前提があります。「不幸な主人公」や「荒れている村」というような舞台設定だと仮定すると、まず真っ先に思い付くべきは「マイナスからの変化」、つまりは先ほどのシンデレラストーリーです。

この記事で先ほど紹介した具体例は「シンデレラ」や「アヒル」のように主人公ばかりでしたが、別に主人公じゃなくても、会社や組織・そして村であっても、このシンデレラストーリーは通用します。


そして、「しかし」という接続詞が使われています。しかしというのは、前からの流れを否定して、新しく重要なことを伝えるときに使う文法です。ということは、この物語は「清廉潔白な役人」が主人公で物語が展開していくと予想できます。

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