プロスポーツの世界では、良きプレーヤーが必ずしも良き監督になれるわけではありません。同じように、優秀な営業マンだからといって、その人がその営業チームの優秀なマネジメントができるかというと、そうでもない。自分の何が優秀なのかを言語化できない天才肌の人もいるのです。
ベンチャー系の会社では、もはやマネージャーは社内で育成するものではなく、専門職として外部から呼ぶものだという考えも生まれています。
弱者が共感される時代
もう1つの社会背景として、弱者のほうが共感されるという現象です。
ここ10年ほど、インターネットでは「かわいそうな人ほど強い」という言葉が見られるようになりました。
例えば、トランスジェンダーとフェミニストが争って、どちらがより弱者かを競う「かわいそうランキング」があります。弱者のポジションをとったほうが、より上位になる。弱者でないと、多くの人から共感を得られず、お金も回らないという身も蓋もない状況があるわけです。
男性はかつて強者でしたが、40代や50代の就職氷河期世代は、非正規雇用のまま放置され、今では弱者です。しかし、男性だという理由でランキングには入れてもらえません。
『ユーモアは最強の武器である』には、ポジションが上がれば上がるほど、責任が重くなればなるほど、「あの人かわいそう」と思われるほうがチームが強くなると書かれていますが、このような社会背景に非常によくはまる話だと思います。
ヒエラルキーそのものが社会から消滅してきたことも、大きいですね。
20世紀前半の、2度の世界大戦に突入するという時代には、あらゆる力を戦争に注ぎ込むために、総動員体制を作り、国も企業もどんどん巨大化していきました。
しかし、大きな戦争のない状況になると、強い国、強い大企業というものは求められなくなります。21世紀のパワーバランスは、国や大企業だけでなく、NPOやインターネット上のインフルエンサーなどの個人にも分散していて、権力が散らばっているという構造ですね。
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