「於愛の方」若くして世を去った二代将軍秀忠の母 築山殿と信康を失った年に家康の後継者を産んだ

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このころ家康は、小田原征伐への準備の最中でした。

家康としては、娘が嫁いでいる北条氏をなんとか懐柔して上洛させたかったのですが、その願いは叶わず。また秀吉の北条氏討伐の意志も固く、家康としては忸怩たる思いを持っていたでしょう。その最中、実質的に妻と言っていい於愛を失い、形だけとはいえ正室の朝日姫も失うという不幸が重なった家康の心中はいかなるものだったのでしょうか。

NHK大河ドラマ『どうする家康』 松本潤 徳川家康
家康は北条討伐に動いている時期に、於愛を亡くしました(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

戦国時代の女の悲劇

於愛の死の実質的な原因は毒殺などではなく、やはり病死であると私は考えます。

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記録には、於愛の死因は疲労や精神的な疲れからくるものであったとされ、いわゆる「気うつ」であると考えられます。とすると朝日姫と同じです。

早くから肉親を戦で失い、夫も戦で失い、家康のもとにあっても度重なる戦、家康自身、本能寺の変や小牧長久手の戦いなど、一歩間違えれば死に至る危機が何度もありました。

そのたびに於愛の精神は、少しずつ削られていったのでしょう。

1628年、すでに家光に将軍職を譲っていた秀忠は、朝廷に働きかけ、亡き母に従一位を贈りました。苦労を続けた母に対する秀忠の、せめてもの感謝の想いだったのでしょう。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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