「於愛の方」若くして世を去った二代将軍秀忠の母 築山殿と信康を失った年に家康の後継者を産んだ

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於愛は、正確には家康の側室と認められてからは西郷局と呼ばれていますが、彼女の死に当たって徳川家中の文書に彼女を「西郷殿」と記した記述が認められます。「殿」は正室を表す言葉であり、「築山殿」や、秀吉の妹で家康に嫁いだ朝日姫も「駿河殿」と呼ばれていました。

於愛は、たとえ一部であっても「殿」という敬称が使われていたことから、築山殿亡きあと実質的な正室扱いだったと考える説があります。息子の秀忠は、信康が死ぬと次男の秀康を差し置いて嫡男の地位を与えられました。

もしも於愛が家中で「殿」の称号を得ていたとするなら、親子ともども正室と後継者の座を築山殿と信康から奪ったことになります。もちろん於愛の評判を考えるに、彼女自身がそのようなことを望んだとは考えられません。

しかし家康が、そう考えたとしてもおかしくはないと思わせるほど、於愛への寵愛ぶりがあったことは間違いありません。そう考えると、築山殿の侍女が彼女を毒殺したという噂が出たとしても、おかしくはないでしょう。

朝日姫と同時期に命を落とした於愛の方

正室という意味では、記録に残る正式な家康の正室は秀吉の妹・朝日姫です。彼女は駿河殿と呼ばれ、駿河に滞在していたと言われます。

彼女は1586年に輿入れして1590年の正月に京で亡くなったとされ、享年は47歳。於愛より10歳以上年上です。

一方の於愛は1589年の5月に駿府(浜松との説もあり)で亡くなります。

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