「家賃は5万4000円で、学費は4年間で400万円程度。だから、奨学金で足りない分と生活費はバイト代で補いました。扶養は関係ないのでほぼ毎日、朝から晩まで働いて、毎月20万円は稼いでいましたね。
都心の飲食店は常に人手不足だったので、4年間そのお店だけで働けました。食事も昼食と夕食はバイト先のまかないで済ませていたので、かかった生活費は電気代ぐらい。わたしは『暇』というのが嫌だったので、忙しく働くことは全然苦ではなく、むしろ楽しかったぐらいです。もちろん、貯金もしていましたよ」
木下さんは勉強するために大学に進むというよりも、養護施設のほかのみんなと同じように、中学校や高校を卒業してすぐに社会人として働くのではなく、「大学生」になることが目標だった。そのため、ゼミやサークルなどに入ることもなかった。
「それに加えて、両親は2人とも、酒・パチンコ・タバコ好きで、わたしが養護施設にいる頃にも『お金貸して』と無心をしてきたんです。キャッシュカードも持っていないので、無理なんですけどね。そこから、逃れるためにも進学したところもありました」
こうして、あっという間に大学4年間は経過。会社説明会で意気投合を果たした社長にスカウトされ、卒業後は賃貸不動産会社に就職した。
「基本給だけではなく、インセンティブも発生するということで、働いた分だけ稼げることに興味を持ちました。バイト先の飲食店では正社員の話まで出ていましたが、『飲食店はバイトまで』と考えていたのでお断りしました」
退職して、奨学金を払えなくなって…
しかし、不動産屋は1年半で辞めた。
「勤めていた店舗が業績悪化で閉鎖してしまい、配属先がコロコロと変わっていったのと、貯金が全然できなかったんです。というのも、家賃が6万6000円のアパートに引っ越したのと、社会人になると社会保険が、2年目からは住民税も引かれてしまうからです。
おまけに不動産業は飲み会など付き合いが多く、出費もとにかく多い……。結果、大学を卒業するときには100万もあった貯金が1年半で底を尽いたんです。さらに、営業からインセンティブの発生しない事務への異動を命じられたので、『じゃぁ、辞めよう』となりました」
特に次の転職先も決めていなかったため、毎月の第一種奨学金1万4000円と第二種奨学金4000円、合計1万8000円の奨学金の返済も困難になってしまった。
「退職してから、奨学金を払えなくなってしまったため、2カ月間は日本学生支援機構(JASSO)に連絡して支払いを止めてもらっていました。その後、バイトでまた飲食店で週7日、17時から翌朝5時まで働いて毎月30万円稼いでいました。朝5時に始発で帰って12時頃まで寝て、14時にはまた出社して仕込みを始めます。ここでもまたまかないが2回出たので、食費は一切かからなかったですね」
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