木下さんは受け入れ先の養護施設が決まるまでの小学校6年生から中学校1年生までの1年間、義務教育期間にもかかわらず卒業式や入学式には出席できず、自ら教科書を読みながら独学で勉強するほかなかった。
【2023年8月23日12時45分追記】初出時、児童相談所の記載について誤りがあったため、一部文言を削除しました。
その後、隣県の山中にある養護施設に引き取られ、ようやく中学校に転入することができた。
「そこで、高校3年生まで生活することになったのですが、もう車も通っていない畑ばかりの田舎だったので『こんなところに住むのか……』とは思いましたね。コンビニもないので、基本は養護施設内での暮らしになりました。施設には3歳から高校生まで全部で100人ぐらいいて、同い年は男女合わせて10人程度。フロアごとに男女で別れていて、別棟に知的障害者用の施設と、高齢者用の施設がありました」
しかし、きょうだい4人が同じ養護施設に入れるわけではなかった。
「定員の関係で全員入れなかったのと、わたしはもう中学生ですが、2人の弟はまだ幼いこともあって里親制度が使えたんです。もうひとりの弟は生まれつき身体障害があり、『里親は見つからないだろう』と判断されて、わたしと一緒の施設に入りました」
養護施設での壮絶なイジメ
そんな、養護施設での生活は想像を絶するものだった。
「入った当初はイジメにも遭いました。施設内には両親の愛情を受けず、幼い頃からそこで暮らしている子もいたので、わたしみたいに両親がいてきょうだいもたくさんいるような存在は憎かったのでしょう。だから、みんなで食事をする際も、職員が見ていないところでトマトを投げつけられることもありました。それに、男たちが風呂を覗きに来たり、消灯後部屋に入ってきたりするので、安心して眠ることもできませんでした」
思春期にそんな毎日を送るわけである。当然、木下さんも気が気でない。
「わたしもずっと黙ってやり過ごしていたわけではなく、やられたらやり返していたので、周りから見ると同じく荒れていると思われたでしょう。ただ、そのうち誰と一緒にいればイジメられないのかなどを考えるようになり、ボスみたいな人にゴマを擦ったりしてやり過ごすようになりました」
養護施設内で四六時中アンテナを張って生活しなければならなかったが、通っていた中学校は近隣の公立である。施設内に同い年の子どもが10人もいるのだから、施設に通っているということは特に気に留められなかった。
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