「1人でも最期は自宅で」を叶えた男性2人のラスト がん末期の自宅療養死が「孤独死」ではない理由

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身体が動けない状態で1人で過ごすことは何かと大変です。それでも、日に日に身体が弱りながら、ベッドの周りに食べ物や飲み物をたくさん置いて、「やっぱり家が気楽でいい」としみじみつぶやいていた洋一さん。

何か困っていることはない?」と聞くと、「うん、何にもない」と満足気な表情を浮かべます。寝たきりで不自由な生活ではあるのですが、心底「今がいい」と実感しているような表情を、今でも思い出します。

病を抱えて独居というと、つい「かわいそう」「1人で大丈夫なの?」と心配してしまいがちですが、家族がいないことを不自由と思うか、自由と思うかは人それぞれ。自ら1人の生活を選び、自由に生きてきた洋一さんにとって、最後まで1人で思い通りに過ごすことがとても自然なことのように思えました。

「不自由さ」を受け入れられるか

1人暮らしであっても、ある程度の不自由さを受け入れられるなら、1人で最後まで家で過ごすことは可能です。

ここでいう不自由さとは、例えば自分でトイレに行くことが難しい場合、オムツが濡れて気になっても、介護士が来るまで待つ必要があるといったこと。病院のように、ナースコールひとつですぐに誰かが来てくれる環境ではないため、ケアをする誰かがいない時間には、多少の我慢がどうしても必要です。そのため、誰もいない時間の不自由さが嫌だという人には、1人暮らしでの在宅療養は向いていないかもしれません。

『在宅医が伝えたい 「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社+α新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

それでも、多少の不自由さや我慢より、住み慣れた家で好きなように過ごしたいと願うなら、1人暮らしでも十分に在宅療養は可能なのです。

ただ、自分が「1人暮らしでも家で過ごしたい」と願っても、家族の反対にあって希望を叶えることが難しくなる場合もあります。遠くに住む家族が1人暮らしを続けることを心配している場合など、本人より家族の心配が優先されて、結局は病院や施設に入ることになるケースもままあります。

ですが、家族の存在が障壁になってしまうのはとても残念なことです。

家族としては、本人が本当に「1人暮らしで家にいたい」と望むなら、本人の意思を尊重し、「あれこれ口を出さずに支えよう」と腹をくくることも素敵な選択だと思います。

中村 明澄 向日葵クリニック院長 在宅医療専門医 緩和医療専門医 家庭医療専門医

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なかむら あすみ / Asumi Nakamura

2000年、東京女子医科大学卒業。国立病院機構東京医療センター総合内科、筑波大学附属病院総合診療科を経て、2012年8月より千葉市の在宅医療を担う向日葵ホームクリニックを継承。2017年11月より千葉県八千代市に移転し「向日葵クリニック」として新規開業。訪問看護ステーション「向日葵ナースステーション」・緩和ケアの専門施設「メディカルホームKuKuRu」を併設。病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演をしているNPO法人キャトル・リーフも理事長として運営。近著に『在宅医が伝えたい 「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社+α新書)。

 

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