検察による独自捜査の限界と特捜部の不要論 イトマン事件の捜査指揮官・土肥孝治氏逝く

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後任にはやはり東京高検検事長を経た土肥氏が座ったため、同じ捜査畑の「現場派」として吉永氏が土肥氏を引き立てたとする説が流布している。しかし私の感触は違う。私との会話のなかで吉永氏は何かにつけて土肥氏を筆頭とする関西検察を批判していたからだ。とくに花月会との関係について、「異常だ」と吐き捨てるように語っていたことが印象に残っている。

土肥氏や吉永氏らが一世を風靡し、検察組織のなかで花形とされてきた特捜部だが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件が2010年に発覚した。証拠品のフロッピーディスクを書き換えて無実の官僚を陥れようとした前代未聞のスキャンダルだ。

そのころ新聞社で論説委員を務めていた私は「特捜部廃止」を社説で主張するべきだと部内で提起したが容れられず、個人の署名で「特捜部はもういらない」というコラムを書いた。

暴走する異形の集団

検察の本分は、警察などが捜査した事件を精査して起訴するかどうかを判断し、公判を維持することであり、独自捜査は例外であるはずだ。ところが特捜部は自ら捜査して起訴まで持ち込むことを業とする常設機関だ。

有罪率が99%を超える日本の司法制度のなかで、起訴権限を独占する検察の手がけた捜査がチェックされる機会は限られる。いわばプレイヤーが審判を兼ねる特捜部に歯止めをかけるのは容易ではない。

しかも功名心と自尊心が強いエリートの集まりだ。特捜検事に、特捜部長になったからには、と功を焦る。公益を代表し真実を発見するより、「実績」を優先させがちだ。

警察は政治権力に弱く、巨悪に立ち向かえないというのが特捜部の存在理由とされてきたが、しかるべき疑惑があれば警察を指導して捜査させるか、だめならその時にアドホックに検事を集めて捜査にあたればよい。常設である必要はあるのか。第一「巨悪」に立ち向かった事案はさほど多くはないし、むしろ政権与党に忖度しているのではと疑わしい例が近年目立つ。

河井克行元法相の公選法違反事件で、東京地検特捜部の検事が元広島市議らに買収を認めたら不起訴にすると持ちかけていたことが最近発覚した。暴走する危険性のある異形の集団という特捜部の本質は変わっていない。土肥氏や吉永氏が存命なら特捜部で相次ぐ事態をどう見るか、聞いてみたいと思うのは私だけではないだろう。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「ルポ フィリピンの民主主義―ピープルパワー革命からの40年」、「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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