検察による独自捜査の限界と特捜部の不要論 イトマン事件の捜査指揮官・土肥孝治氏逝く

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私は特段、土肥氏と親しかったわけではない。土肥氏は朝日新聞の大阪社会部時代に遭遇したイトマン事件で当時、捜査機関を代表する存在だった。「検事正の決断」が事件の行方を左右すると考えられていた。

1996年、検事総長に就任した直後の記者会見で抱負を語る土肥孝治氏(写真・共同)

イトマン事件とは、バブル経済期最終盤の1年足らずに住友銀行(現・三井住友銀行)系の商社・伊藤萬(その後、変更した社名イトマンに表記を統一)から数千億円が引き出され、株、土地、絵画、ゴルフ会員権など「バブルの神器」を通じて広域暴力団山口組ともつながる闇の世界に流失したとされる事案だ。

これを捜査した大阪地検特捜部と大阪府警がイトマンの河村良彦元社長、伊藤寿永光同社元常務、許永中不動産管理会社代表らを商法(特別背任)違反などの容疑で逮捕、起訴し、その後有罪が確定した。事件により日本を代表する企業の経営者多数が辞任に追い込まれ、イトマンや大阪府民信用組合をはじめ多くの組織が消滅した。

大阪地検は初公判の冒頭陳述で「戦後最大の経済事件」と位置付けた。動いた金額の大きさ、登場人物や手口の多彩さに加え、絶頂期の日本経済を代表する金融資本の本丸にアングラ勢力があと一歩まで迫った異様さを評したとみられる。

大阪特捜部・乾坤一擲の勝負

私は1992年4月、大阪社会部の司法キャップとなった。裁判所か検察を以前担当した記者がつくのが通例だったが、経験のない私が指名されたのはイトマン事件の公判が始まっていたからだ。巨大な金額と複雑な手口、人脈がからみあう事件を捜査開始前から主役らの逮捕、初公判までを見届けた記者が他にいなかった。

次長検事への転出が決まっていた土肥検事正にインタビューした。以下は記事の一部だ。

――イトマン事件を手掛けた経緯は。当初は東京地検がやるという話もあったが。
「あれだけ社会的影響の大きい事件で、しかもイトマンの本社も許永中の本拠も大阪。大阪の特捜部がこの事件をやれないのであれば、特捜部を大阪に置いておくことの意味が薄れる、という感じはしていた」

 

土肥氏が検事正になる前の大阪地検、なかでも特捜部は精彩を欠いていた。ロッキード、リクルートなど疑獄事件を手がけ「史上最強の捜査機関」ともてはやされた東京地検特捜部に対して、大阪で国会議員が絡む「赤じゅうたん」の事件は、土肥氏がヒラ検事の時代に手がけたタクシー汚職と、公明党の参議院議員を在宅で起訴した1988年の砂利船汚職だけだった。

1989年に発覚した大阪市公金詐取事件や1990年のニセ税理士事件は行政機関の根幹を揺るがす構造的な疑惑だったが、市幹部や市議の関与、国税局幹部職員への現金授受といった核心の問題を立件することなく、直接の当事者だけを起訴して幕引きした。納得できない市民らが検察審査会に処分の見直しを求めた。

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