検察による独自捜査の限界と特捜部の不要論 イトマン事件の捜査指揮官・土肥孝治氏逝く
そんな停滞ムードのなかで地検トップに就任した土肥氏は、暗中模索の捜査を強引に引っ張り、捜査史上初めて絵画取引を特別背任罪で起訴に持ち込むなど、積極的な指揮でバブル経済にとどめを刺す事件を仕上げたと評された。くすぶる大阪特捜の威信回復へ向けた乾坤一擲の勝負だったとも言われている。
インタビューで土肥氏は「特捜部を置くだけの意義のある事件、なかでも独自捜査を手がけることが大切だ。捜査機関は実績を残さなければならない」と語った。
検察は体制の安全装置なのか
最後の問いには、イトマン事件の捜査に対する検察内部の評価とは裏腹に、物足りなさを感じていた私の思いが反映していた。
特捜部は、イトマンに食い込みメーンバンクの住友銀行の本丸にあと一歩に迫ったアングラ勢力を摘発した。土肥氏が言うところの大阪の「闇の経済」である。
しかしながら、もう一方の当事者である住友銀行にはまったく手を付けなかった。資本主義の総本山である大銀行を守るためアウトローを排除したとしても、事件解明に必要な捜査を尽くしたとは言えないのではないか。体制の安定装置である検察と総資本が結託した国策捜査ではなかったか……。
住友銀行は、異常に膨れるイトマンの債務と河村元社長の無茶ぶりに気づいていた。それでも、同行が首都圏で地歩を固めた平和相互銀行の吸収合併で、当時住銀の天皇と呼ばれた磯田一郎会長の意を受けて大きな役割を果たした河村氏を止めることはできなかった。
他方、河村氏も磯田氏のマンション購入の手続きから賃借人のあっせんまでを引き受け、磯田氏の娘婿の会社を物心両面でバックアップしていた。そもそも事件となった絵画取引は、磯田氏の娘が河村氏に持ち掛けたことが発端だった。
検察は、河村氏の犯行動機を解明し、事件の全体像を示すために当時の銀行内部の状況を検証する必要があったはずだが、強制捜査はもちろん、最も重要な証人であり当事者である磯田氏や磯田氏の長女夫妻について証人申請はおろか調書の証拠申請すらしなかった。
銀行の経営陣のなかで唯一申請した巽外夫頭取(当時)の調書を弁護側が不同意としたのに対し、証人申請もしなかった。意図的に避けたことは明らかだ。
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