若者はあえて「ブラック企業」で働いてみるべき訳 「ビッグモーター」の不祥事を「資本論」で考える
だから、ビッグモーターの件も、せいぜい五十歩百歩にしか見えないのです。不正行為を社会的にもみ消すことができるほど大きな権力を持つ企業と、それほどの力を持たない企業があるだけだ、と考えるべきではないでしょうか。してみれば、企業の不祥事とは例外的な嘆かわしい現象なのではなく、資本主義的に運営される企業とは、本質的に倫理的ではあり得ない存在なのであって、繰り返される不祥事は必然的な現象なのではないでしょうか。
セオドア・ルーズベルトも朝食を吐き出す
現に、『ザ・コーポレーション』を書いたカナダの法学者、ジョエル・ベイカンは、企業を人間に例えるならばサイコパスである、と言い切っています。いわく、「精神を病む生き物である企業は、他者を傷つけないように道徳に従って行動することも、そうした道徳を理解することもできない」(『ザ・コーポレーション』早川書房、81頁)。ゆえに、企業には内在的な遵法意識はないのであって、法を守ることは費用対効果の問題になります。法を破ることによって得られる利益が、それがもたらす損害を上回るならば、企業自身に法を尊重する動機はないのです。
なぜこうなってしまうのか。それをカール・マルクスは、疾うの昔に見抜いていました。難解をもって知られる『資本論』ですが、実は生産の現場に関するかなり具体的な記述を豊富に含んでいます。「労働日」の章は、当時のイギリスの労働者がいかに過酷な搾取を受けているかを詳しく描き出していますが、それに加えて企業がいかに不正な製造を行っているのかを描き出しています。当時のパン製造業者は、原料を節約するためにパンのなかに混ぜ物を入れていた。その中身はなんと、明礬(みょうばん)や砂、さらには「腫物の膿や蜘蛛の巣や油虫の死骸や腐ったドイツ酵母」(『資本論』岩波文庫、第二分冊、124頁)だったというのです。
このスキャンダルは当時のイギリス議会でも取り上げられ大いに問題視されたようですが、20世紀に入っても、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトが、ハム工場の状況を告発したルポルタージュを読みながら朝食を摂っていたところ、口にしていたハムを思わず吐き出して、食肉加工工場の衛生状態に対する規制の強化を即決した、というエピソードがあるくらいですから、資本主義的に運営される食品工場が、法による監視と規制を逃れればどんなものになりがちなのか、明らかではないでしょうか。
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