弱ってきた老母を放っておけず23年ぶりに「同居」 40代後半~50代の娘と母の「闘いの日々」
かつて格闘した母に呼び戻される娘たち
「もしもし? 千晶? お母さんだけど……お父さんが歩けなくなっちゃったの。あなた、いまどこにいるの?」
今年3月上旬、母からの留守番電話を聞いたときの内臓をつかまれたような、ぎゅう、という感覚をいまも思い出す。父の病を心配する気持ちとは微妙に違っていた。どこか芝居がかった母の声色は、筆者に途方もない罪悪感や重荷を背負わせる。それは一人娘である自分の人生についてまわり、ゆえに闘い、避け続けてきたものだった。
筆者(53)と母(84)は典型的な「うまくいかない母娘」だった。母は幼少から頭脳明晰。化学の道を志したかったが家の事情で大学に進学できなかった、らしい。翻って筆者は幼少から空想好きで勉強もサボってばかり。母は娘の出来が悪いことを「理解できなかった」、もしくは認められなかったのだと思う。性格も考え方も合わず、こちらの言い分を一切聞いてもらえない。
小1の終わりの日記に母への「絶交宣言」を書いたことを生々しく覚えている。以降、大学進学で家を出るまでの13年間は取っ組み合いもありの凄絶なバトルの日々だった。近年は適度な距離を保ち、穏便に過ごしてきたのに……。父は現在も完全介護状態で入院中だ。実家に猫と残された母は、当然ながら筆者を頼ってくる。
「ねえ、スズメバチがいるの! お母さん怖くて外に出られない」「ねえ、冷房がつかないんだけど……」