「タワマンや偏差値」は規格化された幸せの象徴だ 中学受験×タワマン文学対談<前編>
窓際:『二月の勝者』の島津くんの父親もそうですよね。お母さんがキーってなってたらお父さんが「いい加減にしなさい」って間に入ってくれるってことがありますけれど、逆だと「お前は黙ってろ!」になってしまう。父親の暴走にはそういう男女の非対称性も影響していると思います。
おおた:暴走するお父さんって、自分自身も競争社会でつねに競わされていて、不安が強いんだと思います。しかも根強いジェンダー・バイアスによって、自分が一家の大黒柱だと思い込んでいて、つねに「負けられない」と思っている。
その不安を子どもに投影し、少しでも強い武器を持たせようと意気込んでしまう。そういうご家庭だと「男の子だから」みたいな言い回しがよく出てくるんです。
窓際:『勇者たちの中学受験』の第1章のアユタくんは、最後にお母さんと結託してどんでん返しをしますよね。アユタくんはお父さんの管理から逃げたかったのかなって思いました。
おおた:逃げたかったというか、「俺はあなたの思いどおりにはならないよ」という意思表示を最後に突きつけたのだと思います。
数字で子どもを追いつめる大人たち
窓際:それをお父さんも受け入れたのがすごいなと思いました。最後は子どもの意志を尊重する姿勢を見せたから、立派な親御さんだと思います。
おおた:あそこでぶち切れちゃうお父さんもいると思うんですよ。でもアユタの父親は踏みとどまりました。
窓際:おおたさんの本では、きょうだいという観点も描かれていましたね。私も子育てしていて痛感してますけど、子どもって、いくらきょうだいでも一人ひとり違うから、上の子の経験を下の子で活かそうとしても、そうはうまくいきませんよね。
おおた:中学受験を一通り経験すると、終わったときに「あ、こういうことなのか」というのがわかりますから、下の子については地に足のついた中学受験ができるようになる可能性はあると思いますけれど、どうやったら成績が上がるかなんて方法論は通用しませんね。
窓際:きょうだいで比べられる中学受験って、子どもの目線からしてもいちばん残酷じゃないですか。その点、第3章のコズエちゃんはよかったなって。偏差値以外のところで価値判断ができてるじゃないですか。
おおた:受験勉強をしていれば当然偏差値と無縁ではいられないんですけど、その数字の直撃から子どもを守るのが親の役割なのに、むしろ数字で子どもを追いつめる大人たちもいるんですよね。
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