「タワマンや偏差値」は規格化された幸せの象徴だ 中学受験×タワマン文学対談<前編>
おおた:中学受験が一般化してきてしまったので、その上を行く選択肢としての「海外」という構造が出てきていますよね。日本で子育てしているんですけどインターナショナルスクールに通わせて、国際生枠で中学受験を狙っていた親御さんが、結局日本にできたイギリスのパブリックスクール(全寮制中高一貫校)の系列校に進学することにしたって話も聞きました。
窓際:ええ! 年間数百万円じゃきかないですよね。
おおた:はい。1年間の学費で高級外車が買えるはずです。お金をもっていないひとたちには手が出せない選択肢をお金をもっているひとたちが発明して、そこに価値があるんだと喧伝して、延々と教育格差をつくっていく形になってしまっているなあと。
恵さんもそっちに行くのかなと思いきや、物語は思わぬ方向へ進んでいき、その先に恵さんはある意味での悟りに達する。
窓際:そうですね。東京にいると、上とか下とかで比べがちですけど、そこからちょっと距離を置くだけで、「何が幸せなのか?」と考えることになります。それを描きたかった。
完璧を求められるパワーカップルの息苦しさ
おおた:そのメッセージは窓際さんが「外山薫」のお名前で書かれた小説『息が詰まるようなこの場所で』でも訴えていたことですし、私の『勇者たちの中学受験』にも共通する視点です。
窓際:すごくそう思います。そしてバリキャリの香織ですね。実はこれがいちばん描きたかったところです。香織は現代の中学受験の象徴です。パワーカップルで、仕事も完璧、子育ても完璧。すべてに完璧を求められる息苦しさを香織で表現しています。
難関大学出身で仕事でも活躍しているお母さんって、そんな感じのひとが多くて、早慶以上が当たり前みたいなところから中学受験をスタートしているんで、相当つらそうです。中学受験はしんどいからという理由で小学校受験に“逃げる”みたいな話も聞きます。
おおた:香織さんはめちゃめちゃ優秀なんだけど、夫は外面ばっかりいいお調子者なだけで役に立たず、家事を押しつけられていて、職場でも、「子どもがいるから」という理由で海外出張のチャンスを奪われて……。
現代のジェンダー・バイアスの問題が描かれていますよね。ところで、1つ質問していいですか。タワマン文学ではタワマンが成功の象徴や憧れの対象として描かれていますけど、そもそもタワマンって、そういう存在なのですか?