「何不自由なく育った少女」が道を踏み外した悲劇 はためには「穏やかで仕事熱心な両親」だが…
それに、両親ともにアヤノに対して否定的な態度や攻撃的な態度をとることはなかった。
「車に気をつけるのよ」
「お友だちと仲良くね」
「ほしいものがあったら買っておいで」
こういった言葉をかけていたから、「親としての務めは果たしている」と思い込んでいた。
だが、アヤノの問題行動は早いうちから出現した。まず、小学校でのルールがなかなか守れない。宿題を忘れるのはもちろん、挨拶せずに給食を食べ始めてしまうなど、基本的な生活習慣すらできなかった。友だちとトラブルを起こしやすく、「順番を守らず横入りする」「相手の気持ちを考えず、傷つけるようなことを言う」といったことが頻発していた。
血だらけで帰宅した娘に目もくれず…
小学校3年生のとき、アヤノは公園の鉄棒から落ちて怪我をした。血だらけの膝を見て、「これならお母さんも私に注目してくれる。心配してくれる」と思った。母親が帰ってくるまでなるべくそのままの状態にして、待ち構えた。
「お母さん、見て! 今日公園で転んだの。たくさん血が出たよ」
玄関から入ってきた母親はアヤノをチラリと見て、ジャケットを脱ぎながらこう言った。
「そのくらいの怪我は誰でもするもんよ。ちゃんと消毒しておいてね」
アヤノはがっかりした。両親は自分を助けてくれない。自分に興味を持ってくれる人はどこにもいないのだ。
14歳のとき、アヤノは窃盗で少年鑑別所に入所した。クラスメイトの給食費を何度も盗んだからだ。
「別に悪いことしたと思ってない。見えるところにお金を置くほうが悪いでしょ」
少年鑑別所の職員に対して、アヤノはそう言うのみで、質問されても何も答えなかった。「名前は?」といった本人確認の質問すら、無視。職員を睨みつけるようにしていた。
ただ、面会者が来ていることを告げられるとアヤノはぱっと顔を上げ、「誰?」と職員を見た。お母さんが来てくれたと思ったのだ。職員が担任の先生の名前を告げると、落胆した。
「誰にも会いたくない」
そう言って面会を拒否した。
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