樋口:最近こんな出来事がありました。長年長電話を楽しむ友人のひとりから連絡がありまして、「樋口さん悪いけど、この頃あなたの電話の声が聞き取りにくくなって、ごめん、これからは手紙を書いてくださいよ、そうしたら私も返事を出しますから」って。
そうか耳が聞こえなくなりゃ、電話をやめて手紙を書けばいいのかって思っていましたところ、翌日くらいに、これもまた別の友人から電話が入りました。大変気遣いをするお方で、忙しい樋口さんの大切な時間を取ってしまうのは悪いから、あんまり電話をかけないようにするわって常日頃言うような人なんですけど、その彼女が、「これからは月に2回くらいでいいから朝のあまり忙しくない時間帯に電話をかけていい?」とおっしゃる。
何かと思ったら、利き腕の人差し指、中指、薬指が動かなくなっちゃったそうで、どういう病気か説明を聞きましたけど、忘れました。筆忠実で有名な方だけど、彼女はもう手紙が書けないんです。それで「たまに電話かけていい?」となった。
つくづく私は、老いというのは一般化共通化しているように見えながら、老いゆく人のひとりひとりの身の上は非常に多様で個性的だと思い至りました。ある人は手紙が書けなくなる。ある人は耳が聞こえなくなる。そういう具合に老いというのはなんと個別性があるのだろう。そうした視点も、老いのコミュニケーションに取りいれな いといけない。
結論を申しますと、私も上野千鶴子先生の軍門に降りてパソコンを教わります。
テクノロジーの勉強にやめどきはない
上野:そうおっしゃってくださってありがとうございます。手紙を書けなくなったらEメールを使えばいい。指先だけで打てますし、耳が遠くなっても字は読めます。それにパソコンは今音声出入力が可能です。これまで気丈だった方が月に2回お電話くださいよっておっしゃるなら、オンラインで顔の見える機能を使えばいい。
使える道具はどんどん使ったほうがいいと思います。テクノロジーの勉強にやめどきはございません。電話が入ってきたときに使えなかった人がいます。電気釜が入ってきたときにも使えなかった人がいるんです。
でも今は、電話を使えるのは当たり前、電気釜を使えるのも当たり前となりました。機械の内部のしくみはわからなくても、操作さえできればいい。それだけテクノロジーは進化してきました。だから高齢者の皆さんも、学んでくださいとわたしは言い続けております。
樋口:上野さんがおっしゃることに概ね反論はいたしません。要するに、技術の方法はたくさんあったほうがいいということ、それについてはなんの異論もございません。
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